主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、ルツ記の4章です。よろしくどうぞ。
ルツ記 4章7節
昔イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分の履き物を脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける認証の方法であった。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
現代の日本で不動産などの大きな権利の譲渡をする場合、それを有効にするためには押印と印鑑証明が必要です。近頃は脱・ハンコ文化が進んでいますけれども、それでもまだまだ押印と印鑑証明のセットはかなり強力な認証手段として残っています。日本以外ではハンコ文化はありませんが、署名がこれに替わる認証手段として有効です。
昔のイスラエルでは、自分の靴を脱いで相手にそれを渡すことが、その意思確認手段だったようです。・・・なんで靴を渡すことが認証になるの?謎だ・・・謎すぎる。もしかして足の匂いで「よし、これは確かにあの人の匂いだ!」と確認していたのでしょうか。
今の日本で取引相手の靴を渡されたって、困るだけですよね。なかなかそれを履く気にもならないでしょうし、しかしそれが取引の証だと言われたら捨てるわけにもいかず、本当に困りそうです。昔のイスラエルの資産家は靴棚の中にそんな他人の靴がたくさんしまってあったのでしょうか。むぅ、考えれば考えるほど、本当に謎。
しかも昔のイスラエルでは足って体の中で最も汚れた部分だとされていたんです。つまりその足を覆う靴は、身につける物の中で最も汚いものだということです。たぶんパンツよりも汚い扱いです。それを取引の証にするのは、現代で言えば「取引の証に私の脱ぎたてパンツをあげます」というようなものです。・・・嫌だ。受け取りたくない。あぁ、でもその「最も汚いものを受け取る」ということが信頼の証明だと考えられていたんでしょうかね。
ともあれ、手段はどうあれ古代イスラエルから、重要な取引の際には通常とは異なる本人確認と認証を行うことになっていたというのは、法の歴史という観点からみれば面白いことです。
こんな風に聖書の「謎風習」について突っ込んだり考えたりしてみるのも、聖書の世界に親しむ一つの有効な方法かと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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