Q.被災地のために何もできない後ろめたさがあり、礼拝を休んでもボランティアに行くべきかどうかで迷っています。(40代・牧師)
大震災以来、毎日震災関係の記事を読むにつれ、ふと気がついてみれば、だんだんと日本全体がやさしさに目覚め始めたように思います。
読売新聞(2011年3月31日付)では「まなみちゃん」という4歳の女の子(両親と妹を失っている)がコタツにうち伏して眠っている写真がありました。その写真に寄せて詩人・池井昌樹氏が美しい詩を書いています。「ままへ いきてると いいね げんきですか そこまでかいて くたびれて ひなんじょで すやすやねむってしまったこ ひとりぼっちのおんなのこ あなたへそうかかせた人は おかあさん いつもいっしょにいてくれた おかあさん (以下略)」(文藝春秋6月号)。
この詩人はこの写真を見てじっとしておれず、全身全霊でこの詩を書いたのでしょう。また、被災地出身のフィギュア選手は世界選手権で逆転優勝して泣いていました。
こういう話を聞くと、自分はこれでいいのか、自分の今の仕事は何なのだろうと自問せざるをえません。しかし今現地に行くことができないのなら、今の自分の仕事を使命として一所懸命になるしかありません。実はどの仕事も、本質的に人類のためのものであったはずです。
他方で、人間はなぜこんな悲しい目にあうのかという問いかけを受けます。良寛和尚が三条大地震に際して「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候」と答えたことは多くの人の心をとらえました。また、現在のローマ教皇ベネディクト16世は「どうしてこのようなことが起こるのか私もわかりません。いつか時がたてばわかるかもしれません。私はあなたがたと共にいます」と答えています。多くの外国のクリスチャンからの励ましの手紙にも「私はあなたがたと共にいます」という言葉が多く見えます。
現地に行って支援するチャンスがあるなしにかかわらず、今の自分の仕事と使命をまず見直し、神への問いかけを教職者として真剣に答える姿勢を持つことが大事と思います。
やまおか・さんじ 1948年東京生まれ。慶應義塾大学(経済)、東京教育大学(文学)、上智大学(神学·神学研究科)を経てグレゴリアーナ大学(ローマ)で神学博士。アメリカ、中国、イタリア、フランス、広島などでの宣教·司牧経験の後、上智大学神学部教授、学校法人上智学院総務担当理事を歴任。カトリック・イエズス会司祭。