ーー『福音落語』というのは、亡くなられたお父様であられる、元上方落語協会会長の、二代目 露の五郎兵衛師匠が始められたとおうかがいしました。
「ええ。噺(はなし)によっては「神方人情噺」(かみがたにんじょうばなし)という別名でもやってました。その後、私と二人で「福音落語」という名前を確立いたしました。聖書のエピソードを題材にしたり、キリスト教とはなんぞやというものをわかりやすく落語にしたり。
企画や招かれる教会、またはお客さまの対象によって、どの演目にするかを変えています。クリスチャン向け・クリスチャンでない方向け、または古典をアレンジして落語色を強くしたものや「教会あるある」まで。
もちろん古典落語もご披露できますよ(笑)」
-ー では初めから「福音落語」で活動されていたという事でしょうか?
「いえいえ! 私、今も女優として活動してますし!(笑) 少女時代から女優になりたかったんです。しかも時代劇の舞台女優。
子どもの頃は家にお弟子さんが何人かおりまして、当時落語は「男社会」と言われる世界。その中で、女流落語家第一号の都ねえさん(露の都さん)が大変な思いをしているのを見て、落語家はさっさと諦めました(笑)」
ーー クリスチャンになられたのはどういう経緯ですか?
「双子の妹がきっかけです。彼女が既に導かれてクリスチャンになっていましたので、遊びに行く感覚で教会に通っていました。
何度か通った時に『招きの時』があり、『イエス様を信じた人は前に…』と言われた瞬間、雷に打たれたようになりました。
経験したものしかわからない『触れられた瞬間』でしたね。
でも父には信仰を持ったことを内緒にしてたんです。
父は、妹が演劇の勉強をしに上京することを希望した際、関係先に色々根回しして協力していました。そんな彼女が、「クリスチャンになったから女優の道はやめる」と言ったことが相当面白くなかったようです。近くでその様子を見ていたので、まさか一年後に『やっぱり私も信じました〜(笑)』なんて言えなくて。
ですので舞台がある土日は、礼拝を守れないまま、芸能生活と信仰生活を続けていました。
まぁうすうす察していたみたいですけれどね。礼拝へ向かう日は、妹と仲良く連れ立って行っていましたから(笑)
それからしばらくして時代も変わり、テレビへ活動も移り出した頃、女優の三林京子さんが“落語家へ弟子入り”というスタイルをとられたんです。『そんなら私もやってみよ』くらいの気持ちで、父のところに正式に弟子入りしました」