【インタビュー・後編】アジア学院校長・荒川朋子さん 自給自足のシンプルな生活から本当の豊かさが見えてくる

前編から続く

ーーアジア学院設立の経緯を教えてください。

ここは髙見敏弘(たかみ・としひろ)という牧師が設立の中心となって働きました。髙見牧師は、満州生まれで、10歳の時に日本に戻ってくるのですが、貧困の中、京都の禅寺で修行をしながら中高校を出ます。戦時中は、神奈川の海軍電測学校に入学し、やがて終戦を迎えます。1951年に、汽車の中で新聞の求人欄に神戸女学院にいるアメリカ人宣教師が住み込みのコックを募集しているという求人広告を見つけ、コックとして雇われます。

そこで聖書に関心を持ち、洗礼を受け、宣教師の力添えによってアメリカに留学します。帰国後、農村伝道神学校東南アジア科長を務めるのですが、70年頃に農村伝道神学校が経営難に直面し、独立開学できる土地を探し求め、その中で、栃木県の西那須野教会の福本牧師の勧めで西那須野町(現那須塩原市)に学校計画を始動させ、73年に学校法人アジア学院を創設しました。

ーー学費などはどうなっているのでしょうか。

入学金100ドル(8千円)だけは、現金で持ってきてもらうことになっています。ただ、それも支払えない学生もいます。途中でピンハネされ、ほぼ無一文の状態でここに辿り着くこともあります。途中で命を落とすような危険を覚悟してどうして来るのかと聞くと、「自分の地域をよくしたいという希望があるから」だと言います。そんな話を聞いたら、この人たちのためにできる限りのことをしたいと思いますよね。

味ア学院校長・荒川朋子さん

ーーコロナ禍では海外との行き来がストップし、学院も大変だったのではないでしょうか。

昨年4月から入国制限も解除されはじめ、昨年は通常の人数に戻りつつありました。しかし、その前年は学生が入国できず本当に困りました。それでも、国内から4名の学生が集められ、外部からの支援が滞ることがなく学院を維持できたのは奇跡だと思っています。農場も学生がいない分人手が必要なことも多々あり、事務担当も含め学院総出で農場を手伝いました。

ーーコロナ禍でも支援が変わらなかったのはなぜでしょうか。

長くアジア学院を支援してくださっている方々と信頼関係が築かれていることが大きいと思います。皆さん、私たちの活動の大切さを理解してくださっています。留学生は皆、ここに来て夢が叶ったと言います。朝の集会で、両親を内戦で亡くした学生が、「辛いこともいっぱいあったが、自分はアジア学院で学ぶという恵を与えられた。だから、全てに感謝して、ここで得たものをこれから自分の地域に還元していかなければいけない」と語っていました。こういうことを本当に純粋に思っている人たちです。正直日本人からはなかなか聞けない決意です。それを聞いてしまうと、アジア学院の働きをやめるわけにはいかないですよね。こういう思いが、支援してくださる人にも伝わっているのだと思います。

アジア学院に飾られている壁画。「みんなの違いが世界を救う」という思いが込められている。

ーー留学生にとって日本はいい国なのでしょうか。

研修期間中に学生たちは、日本のいろいろな地域を訪問するのですが、その中で皆が実感するのは、いわゆる従来型の開発手法では人間は決して幸せになれないということです。残念なことに人間の心を満たすのはお金や物質ではないということが、日本の現状を見て分かったといいます。もちろん日本について讃えるところもあります。幼稚園児がとても行儀がいいとか、タイムマネジメンに優れていて、他人の時間も大切にするとか。日曜礼拝で、牧師が信徒より先に来て待っているとびっくりしていました。その一方で、「自殺率がこんなに多いのはどうしてなのか」「時間を無駄にしない分、残った時間を何に使っているのか」など素朴な疑問が飛び交います。

学生たちは、それぞれの「違い」ということを、楽しめるというか、愛おしむというか・・今日本では、過ぎた画一化を見直して違いを認め合うということを盛んに呼びかけていますが、そんなことは彼らにとっては、当たり前のことなのではないかと感じます。むしろその先をいっている。この部屋に、学生たちが描いた絵が飾ってあるのですが、面白いと思いませんか。人間と人参が同じ大きさなんです。大切なものが大きい。日本人だったら、正確なサイズに描こうとするところがあると思いますが、彼らは、そういうことは気にしない。本当の豊かさは、発展した日本ではなく、彼らの中にあると感じます。

ーー日本人も受け入れていますか。

日本人の学生も受け入れていますが、ボランティアとして来る人もいます。特にコロナ禍の2年間は、これまでいわゆる「敷かれたレール」に沿って生きてきた若い人が、コロナで突然進めなくなって、アジア学院にたどり着いたというケースがありました。ここで、「敷かれたレール」からはみ出した生き方、リアルな「違い」を目の当たりにし、本当の世界の広さを体験することで、これまでとは違う道に踏み出す勇気がわいてきたと彼らは言います。そういう意味では、日本人の若者がアジア学院に来て新しい体験をする意味は大きいと思います。ただ、それは、ある程度長く滞在しないと分からないかもしれません。いろいろな人たちと寮などで一緒に生活し、共に食卓を囲む・・こういったシンプルなことが人生を変える大きな力につながっていくように思います。

#アジア学院

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