これまで清朝末期の台湾キリスト教宣教について見てきたが、今回は1920年代の日本における台湾人キリスト者と社会運動について紹介したい。台湾が日本の植民地だった時代、東京には新民会、東京台湾青年会、東京台湾教会、台湾同郷会など複数の台湾人団体があった。当時日本に滞在していた台湾人留学生の多くはさまざまな団体に所属しており、東京の台湾人クリスチャン学生も、東京での政治・文化活動に参加していた。
大正時代、日本の大学教授や政治家の中にはキリスト者が多数おり、社会運動と大学・教会の青年たちの関係は密接だった。例えば、自由主義者の島田三郎と本郷教会の牧師・海老名弾正が中心となって結成した「国民新作会」のメンバーは、内ケ崎三郎、永井柳太郎、大山郁夫など全員がキリスト者であった。
キリスト教の影響を受けたこうした学者・思想家・政治家たちは、大正デモクラシー運動の旗手の一人である吉野作造を中心に、中国・朝鮮・台湾の問題に関心を持つ日本人学生や留学生とも協力し、東京帝国大学の政治研究室、弁論部、YMCAとも密接に交流していた。こうした運動に参与していた青年たちは神田のYMCA会館、富士見町教会、中華留日YMCAの会館などで集会を開いており、メンバーの中には台湾YMCA、中国YMCA、朝鮮YMCAの青年たちが多数いた。
台湾人留学生以外にも、在日台湾人が関わっていた政治・社会運動の背後には、キリスト教信仰やキリスト教ネットワークの影響を垣間見ることができる。在日台湾人キリスト者は、台湾の学生コミュニティーと緊密なネットワークを築くとともに、朝鮮や中国のキリスト者とも協力し、台湾の政治・社会運動を推進する重要な担い手として活動した。
1920年1月11日、台湾人による政治結社「新民会」が東京で設立され、同会により台湾の政治的自由と文化的啓蒙のために闘う雑誌『台湾青年』が創刊された。また、後に「台湾議会の父」と称された林献堂の指導の下、新民会のメンバーは、「台湾議会設置運動」に参与し、このような背景から「台湾文化協会」が設立され、同協会はその後の台湾の民族運動・社会運動・文化運動の拠点となり、さまざまな政治・文化・社会組織の母体となった。
新民会の創立時のメンバーには、林献堂のほか、蔡培火、顔春芳など多数のキリスト者がいたが、その中でも顔春芳は1927年に設立された東京台湾教会の創立メンバーでもあり、さらにいえば同教会の前身は東京台湾YMCAの台湾人キリスト者が顔春芳宅で家庭集会を開いたことに由来している。
これらの台湾人キリスト者の多くは、音楽・文学・美術・経済・法律・医学などの分野で働き、同じ信仰に基づいてYMCAや教会を設立したり、積極的に政治参与したりする他に、日本国内のさまざまな台湾人コミュニティーとの関係や人脈を通じて結婚・教育・仕事を斡旋するネットワークを構築していた。
一例を挙げると、1934年、東京台湾同郷会は日本で音楽を学んだ人々に呼びかけて「郷土音楽訪問団」を組織して10日間にわたって台湾各地を演奏してまわったが、そのメンバーはすべて東京留学をした東京台湾教会の会員でもあるキリスト者たちだった。彼らは音楽コンサートという形で台湾の社会・文化の啓蒙活動に参与していたのだった。
以上のように、台湾が日本植民地だった時代におけるキリスト者と社会運動の関係を概観してきたが、これらを踏まえた上で、今後はさらに、台湾と東アジア各地のキリスト教ネットワーク、台湾近代化に対するキリスト教の影響、さらには日本帝国主義下の東アジア各地の変革に対するキリスト教精神・信仰の影響などについての議論を深めることができるだろう。(翻訳=松谷曄介)
王 政文
おう・せいぶん 国立台湾師範大学歴史学博士、東海大学歴史学部副教授・同学部主任。専門は台湾史、台湾キリスト教史。特にキリスト者の社会ネットワーク・改宗プロセス・アイデンティティーの相関関係を研究。著書に『天路歴程:清末台湾基督教徒的改宗与認同』(2019年)など。