Q.自死された方の葬儀を教会で挙げるべきではありませんか。(50代・女性)
キリスト教は、特に初代キリスト教会において自殺に対し批判的な評価をしてきたようです。最も有名なのはアウグスティヌスです。彼は『神の国』の中で、自殺に対して反対しています。もっとも、こうした彼の考え方は神学的理由というよりも、文化的背景を踏まえての発言であるという意見もあります。トマス・アクィナスは彼の考えを理論的にまとめ上げ、自殺を容認しないと結論づけました。この2人の考えが中世ヨーロッパ以降の自殺観に大きな影響を及ぼし、教会は自殺者の葬儀や埋葬を拒否する規定を作り、それは後のヨーロッパ諸国の自殺法に深い影響を与えました。しかし、英国は1961年、自殺法を廃止し、他の国々もそれに従いました。
私は、責任能力があり、意識もはっきりしていて、自由意志で自分の命を殺す場合の自殺と、精神障害を伴う異常心理に基づく死、あるいは他者への愛から出た自己犠牲的な死とははっきり区別すべきであると考えます。
最近の精神医療の知見によると、自殺者の75~90%(WHO統計参照)は、自殺するにはなんらかの精神障害に疾患していることが明らかにされています。また、自殺者の中には、多重債務や失業、被虐待など、外部要因が深く関与している事例が多いことが分かってきました。
このように考えますと、自殺者の多くは自分で「死のう」として死んだのではなく、むしろ病や社会的要因によって追いつめられ、死にたくないのに死なざるを得ず、亡くなったケースが多いのだと思われます。
このような点を考慮に入れると、私たちは自殺者やその遺族をいたずらに批判したり、罪人呼ばわりするのではなく、彼らの痛みを教会共同体全体の痛みとして担っていくという姿勢が大切なのだと考えます。
このような観点に立つと、教会人は遺族に対して「悲しむ者と共に悲しむ」という姿勢で、彼らのために葬儀をして差し上げるべきであると考えます。
ひらやま・まさみ 1938年、東京生まれ。横浜市立大学医学部卒業。東洋英和女学院大学教員を経て、聖学院大学子ども心理学科、同大大学院教授、医療法人財団シロアム会北千住旭クリニック理事長・院長、NPO法人「グリーフ・ケア サポート・プラザ」(自死遺族支援)特別顧問を歴任。精神保健指定医。著書に『精神科医からみた聖書の人間像』(教文館)、共著に『イノチを支える-癒しと救いを求めて』(キリスト新聞社)など。2013年、75歳で逝去。