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保育園運動会前日、天気予報は「晴れ、最高気温23℃、最低気温15℃」とあった。ホッとすると同時に、最近気になっている「寒暖差疲労」という言葉が浮かんできた。気温差7℃以上だと気を付けなければならない温度差だと聞いているからだ。「気温の寒暖差が大きいことにより、自律神経の働きが乱れ、体が疲れることを『寒暖差疲労』といい、めまいや頭痛、倦怠感、便秘などの様々な心身の不調をもたらす。」(奈良県医師会HPより要約)最近、以前と違う体調不良を若干覚える時があり、この疲労からくる症状のいくつかに該当するので、「寒暖差疲労だ!」と勝手に思い込んでいる自分がいるのだ。(単なる加齢と運動不足と言えなくもないが…。)ともあれ、温度差によって様々な不調をきたしてしまう程、私たちの体は実に繊細に創られている。「自律神経恐るべし」とでも言いたくなるのだが、逆に与えられた能力と神様に感謝すべきかなとも思う。怠惰な私であっても自律神経は飽くことなく警鐘を与え、体を維持しようと必死で働いてくれているからにほかならない。
「愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています」(コロサイ4:14)と記されているように、福音書記者ルカは医者であった。彼の福音書では、貧しい人々や罪人への深い憐れみがあり、女性たちの働きを積極的に評価する。彼が医者として差別することなく人々に奉仕していたからであろう。しかし、当時の医学では乏しい対処療法しかない中、彼は身体を治すこと以上に心も癒される必要があることに気付いていたのではないだろうか。ルカによる福音書17章には、10人の重い皮膚病の人々の癒しがある。癒された後、イエスのもとに戻ってきたのはサマリヤ人(当時のイスラエル人はサマリヤ人とは決して交わらない)ただ一人であったが、癒された彼に向って「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17:19)と告げられたのは、まさに身体の癒しだけでなく、「イエスを信じる信仰」によって心も癒されるのだと告げようとしているのである。ルカがあえてこの話を記したのも、「イエスを信じる信仰」は人間には必要なものと確信していたからであり、現代風に言えば、「イエスを信じる信仰」は見えもせず触れることもできないが、私たちの「心の自律神経」にほかならない。
寒暖差による体調不良を感じることもなく保育園の運動会の役割無事終了。マスクを外して笑顔で運動する子どもたちの姿を目に入れていると、私の心も元気になってくる。子どもと触れることもまた「心の自律神経」なのだろう。