信仰を持って生きているかどうか自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。
コリントの信徒への手紙二13章5節(参照箇所同書13:1〜13節)
信仰者であって、自らの信仰を吟味しない人はいません。多くの場合、人は自分の信仰はこれでよいのだろうかと繰り返し、反芻(はんすう)しているのが正直な姿と思われます。余程のことでもないと、何があろうと揺るがない、信仰の持ち主であると自信をもって告白できる人はほとんどいないでしょう。クリスチャンですと言いながら、その実内心では忸怩(じくじ)たる思いを抱えているというのがわたしたちの偽らざる姿でしょう。
にもかかわらず、そのようなわたしたちが信仰者であり、教会を造り上げている事実があります。パウロは、「あなたがたは自分自身のことが分からないのですか」と申しました。とてもこんな信仰ではと思っているのに、実は大変重要な働きをしている自分に気付きなさいということであります。思いもよらぬことが自分に起っている、それが信仰者の姿です。パウロは、そういう自分を知りなさいと言っているのです。
ルターは、「信仰とは、キリストがわたしの内に生きて働く力である」と言います。信仰者が自分でも思いもよらぬ働きをしているのは、キリストが内に働いておいでになるからです。自分を吟味するとは、そのキリストを自分の内に発見することなのです。