この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。
コリントの信徒への手紙二1章19〜20節(参照箇所同書1章15〜24節)
パウロはコリントの教会を訪問するという約束をしたのですが、コリントを訪ねませんでした。このことについて彼は二枚舌を使ったと非難されたのでした。彼がコリントに行かなかったのは、それなりの理由があったのです(23節)。
けれども、彼がこの非難に答えて、単なる弁解をしようとしませんでした。人間には「然り」と「否」があるかもしれないが、彼と弟子たちが宣べ伝えた、キリストにおいては「然り」だけがあると言うのです。「この方においては『然り』だけが実現したのです」とは、神が約束されたことは、キリストによってすべて果たされているとの意味です。パウロはコリントの教会と自分たちは、この方に結びつけられているのであって(21節)、この方を通して見れば、「否」はないと言っているのです。
パウロは、コリントの教会への思いやりの末であったけれども、結局訪問中止となってしまった、そこには人間の「然り」と「否」がないまぜになっている、しかしながら、キリストには「然り」のみがある、これを答えにする者は揺るぐことはないと言っているのです。