10月2日  コリントの信徒への手紙二1章19〜20節

この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。
コリントの信徒への手紙二1章19〜20節(参照箇所同書1章15〜24節)

パウロはコリントの教会を訪問するという約束をしたのですが、コリントを訪ねませんでした。このことについて彼は二枚舌を使ったと非難されたのでした。彼がコリントに行かなかったのは、それなりの理由があったのです(23節)。

けれども、彼がこの非難に答えて、単なる弁解をしようとしませんでした。人間には「然り」と「否」があるかもしれないが、彼と弟子たちが宣べ伝えた、キリストにおいては「然り」だけがあると言うのです。「この方においては『然り』だけが実現したのです」とは、神が約束されたことは、キリストによってすべて果たされているとの意味です。パウロはコリントの教会と自分たちは、この方に結びつけられているのであって(21節)、この方を通して見れば、「否」はないと言っているのです。

パウロは、コリントの教会への思いやりの末であったけれども、結局訪問中止となってしまった、そこには人間の「然り」と「否」がないまぜになっている、しかしながら、キリストには「然り」のみがある、これを答えにする者は揺るぐことはないと言っているのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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