「・・・死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」
コリントの信徒への手紙一15章55節(参照箇所同書15章50〜58節)
人が死に臨むとき、生き死にの根幹に関わるさまざまな問いを投げ掛けます。なかでも「このわたしは死んだらどうなるか」という問いは、信仰の有り無しにかかわらず、人が等しく問う問いであると言われます。
死は、だれにでも訪れる自然のことでありながら、死をもってすべて終わりであるとはいえないものが残るものです。そうなれば「このわたしは死んだらどうなるか」という死後への懸念は問いとならざるを得ません。「死ねばなにもないさ」と言うにしても、死後にはなにもないと答えねばならないのです。
聖書によれば、死は罪の支払う報酬であるとされます(ローマ6章23節)。死が罪の報酬であることは、感謝すべきことです。キリストがわたしたちの罪を引受けて死んでくださったのであり、その死によってわたしたちは救われるからです。その意味では、わたしたちの死は、すでにキリストが死んでくださった死に他なりません。しかもその死の向う側に復活のキリストにあずかる命があります。
そのキリストの死と命を見て、パウロは、「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」と声をあげるのです。死に臨むときの大きな慰めです。