信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。
コリントの信徒への手紙一7章14節(参照箇所同書7章1〜18)
コリントの教会には、配偶者のどちらかが信者でない夫婦がいて問題が生じていたと思われます。多分、教会の中には夫婦は両者共に信仰者でなければならないという意見があったのでしょう。
パウロは、たとえ一方が未信者であっても両者が生活を共にしたいと願っているなら離婚は避けるべきという立場を取りました。未信者の相手は信者である者によって聖とされているからだというのです。
結婚は信者同士が望ましいでしょう。とはいってもクリスチャン同士だからという理由だけで結婚は成立しませんから、他の要素も勘案して結婚に踏み切ることになります。
我が国のようにクリスチャン人口の少ないところでは、現実問題として信者同士の結婚はなかなか困難です。どちらかが信者か未信者という夫婦にとって、このパウロの言葉は自分たちの結婚が単に人間としての結び付きで終わるのでなく、スピリチュアルな祝福の下にあるということは大きな救いとなるものです。
この祝福をどのような形にするかは、一に信者である者の生き方に関わると思われます。信仰的価値観に囚われず、心理社会的かつ生物的に生き方を楽しく工夫するのも祝福の表わし方ではないでしょうか。