樋口進氏、「聖書協会共同訳」について語る(5)

 

新翻訳聖書セミナーが6月24日、松山ひめぎんホール(愛媛県松山市)で開かれた。そこで、「聖書協会共同訳」についての講演を、翻訳者・編集委員である樋口進(ひぐち・すすむ)氏(夙川学院院長)が行った。その内容を連載でお届けする。

樋口進氏=6月24日、松山ひめぎんホール(愛媛県松山市)で

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4 実例(2)

出エジプト記3:14

「新共同訳」では、「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと』」とあります。しかし「聖書協会共同訳」では「神はモーセに言われた。『私はいる、という者である(私はあるという者だ)』。そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと」としています。

「聖書協会共同訳」では、神の名の「イェフエー」を「私はいる」と訳しました。これは3:12の「私はあなたと共にいる」と密接に関係があるとの理解からです。脚注で示したように、「七十人訳」では「エゴー・エイミ・ホ・オーン」(私はあるという者だ)と存在論的に訳され、その影響があるようです。「口語訳」でも「わたしは、有って有る者」と訳され、「新改訳2017」でも「わたしは『わたしはある』という者である」と訳されました。

レビ記1-5章

献げ物の種類として「オラー」「ミンハー」「ゼバー・シェラミーム」「ハッタート」「アシャーム」の訳語を「口語訳」では「燔祭(はんさい)」「素祭」「酬恩祭」「罪祭」「愆祭(けんさい)」、「新共同訳」では「焼き尽くす献げ物」「穀物の献げ物」「和解の献げ物」「贖罪の献げ物」「賠償の献げ物」と訳されていましたが、「聖書協会共同訳」では「焼き尽くすいけにえ」「穀物の供え物」「会食のいけにえ」「清めのいけにえ」「償いのいけにえ」と訳されました。ここでは特に、動物犠牲には「いけにえ」という訳語が用いられました。

ヨブ記2:9

「新共同訳」では「彼の妻は、/『どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう』と言ったが」と訳されています。しかし、「呪って」と訳されている「バーラク」は「祝福する」という意味です。それでは意味が通じないということで、多くの訳(「口語訳」も「新改訳訳2017」も)「のろって」あるいは「呪って」と訳しています。

BHS(ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア)の脚注では「たたえて」との読み替え(婉曲語法)が提案され、「岩波訳」ではそう訳されています。「聖書協会共同訳」では「彼の妻は言った。「あなたは、まだ完全でいるのですか。神を呪って(直訳「祝福して」)死になさい」と、直訳を脚注で示しました。

ヨブ記19:26

「新共同訳」では、「この皮膚が損なわれようとも/この身をもって/わたしは神を仰ぎ見るであろう」と訳されています。「この身をもって」と訳されている「ミッベサリー」は、文字どおりには「肉から」です。「新共同訳」では「この身をもって」と少し意訳されているのです。

「聖書協会共同訳」では「私の皮膚がこのように剝(は)ぎ取られた後、私は肉を離れて(直訳「肉から」)、神を仰ぎ見るであろう」と脚注で直訳が記されました。口語訳では「肉を離れて神を見る」、「新改訳2017」では「私の肉から神を見る」と訳されています。

詩編23:1-2

「新共同訳」では、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い」と訳されています。「聖書協会共同訳」では、「主は私の羊飼い/私は乏(とぼ)しいことがない。主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀(みぎわ)に伴われる」と訳されました。

代名詞語尾はできるだけ省略する方針ですが、ここは「私の羊飼い」とすべきでしょう(「新共同訳」では「わたしの」は省略されました)。また、従来の訳であった「憩いの汀」という美しい詩的表現が復活されました(「口語訳」「新改訳2017」も「いこいのみぎわ」と訳されています。これはしばしば命名に用いられました)。

コヘレトの言葉1:2

「新共同訳」では、「コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい」と訳されました。「聖書協会共同訳」では、「コヘレトは言う。空(くう)の空。空の空、一切(いっさい)は空である」と訳されました。

コヘレトは、「口語訳」でも「新改訳2017」でも「伝道者」と訳されていますが、「新共同訳」を踏襲してヘブライ語のとおり「コヘレト」と訳されました。

「ヘベル」は「新共同訳」では「空しさ」と訳されましたが、「口語訳」や「新改訳2017」のように「空」のほうがふさわしく、朗読の時の響きもいいと思います。(つづく

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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