見よ、わたしはお前に立ち向かうと万軍の主は言われる。わたしはお前の裾を顔の上まで上げ、諸国の民にお前の裸を、もろもろの王国にお前の恥を見せる。
わたしは静かに待つ、我々に攻めかかる民に苦しみの日が臨むのを。
ハバクク書3章16節(参考箇所同書3章1〜19節)
前7世紀頃、アッシリア帝国の滅亡期に活躍した、ハバククは神に問います。「わたしが不法と訴えているのに、あなたは助けてくださらない」(1章2節)、「欺く者に目を留めながら、黙っておられるのですか」(1章13節)、ハバククは神がおいでになるのに一向に事態が改善されないことにいらだちを感じます。
神は彼の問いに「もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ遅くなっても待っておれ。それは必ず来る。遅れることはない」(2章3節)と言われます。神には神の手立てがあるのです。人は自分の思い通り事が解決することを期待します。思い通りにならなければ、いらいらするでしょう。場合によっては神不信を招きかねません。ハバククはそのような心理状態にあったと思われます。
このようなとき、「たとえ遅くなっても待っておれ」との神の声を聞かねばなりません。もうひとつの幻を待たねばならないのです。ハバククは、この神の言葉に忠実であった人です。そのとき彼は「わたしは静かに待つ」と言い得たのです。成熟した人は待つことができると言いますが、信仰者はまた待つことができる人です。