【連載小説】月の都(52)下田ひとみ

 

そうするうちに、ふみの心は次第に落ち着きを取り戻していった。

紘子を家に迎えたのは、そんな時であった。

志信との話を立ち聞きしたふみは、大きな衝撃を受けた。

紘子が帰ったあと、志信は憔悴(しょうすい)した様子で自室にこもってしまった。夫を心配したふみは、これをしおに家に帰ることにした。

しかし、家に帰ったふみは、ふたたび悲しみに沈むようになった。陶子と眺めた庭の花、陶子と愛でた花器や茶碗。陶子のために弾いていた琴。この家は陶子の思い出が多すぎるのである。

だから、クリスマスの季節が訪れても、ツリーを飾る気にどうしてもなれなかった。オーナメントを見るのがつらすぎた。

「ごめんなさい。わがままいって……」

「キリスト教信者ではないんだし、かまわないよ」

志信が快く了解してくれたことで、かえって申し訳なさでいっぱいになった。応接間のツリーは志信も毎年楽しみにしている。

ふみは自分が情けなかった。

紘子の訪問を受けて以来、志信はどこか元気がなかった。夫も親友を亡くしたのである。しかも、あれほどの秘密を知らされてしまった。いくら志信でも荷が重いだろうに。私は何の役にも立たない。それどころか、夫を慰めることもできないでいる。

ある日、ふみは思い余って言った。

「本当にごめんなさい。いつまでもこんなふうで……。実家にだって長いこと入り浸って、志信さんに不自由をおかけしてしまって。……わからないんです、どうしてこんなふうなのか。もっと私がしっかりしていれば……」

ふみは無念の涙をこぼした。言葉に出したことで、今まで耐えていた思いが一度にあふれ出てきた。

「自分がこれほど弱い人間だとは知りませんでした。自分で自分が情けなくて……。でも、どうすることもできないんです。陶子さんが死んでしまったことが、どうしても受け入れられなくて。今でもまだ信じられないんです……」

「ふみ」

改まった口調で志信が言った。

ふみは思わず顔を上げて夫を見た。

「何でも心のままに、自分の思うようにしなさい。実家にいたければ、好きなだけいていい。ここにいて陶子さんを思い出して、庭を眺めるのがつらいなら、木や花を切ってしまってかまわない。花器や茶碗も壊せばいい。琴も琴爪も捨てればいい。もちろんツリーなんか飾らなくていい。ふみがそうしたければ、何だってすればいい。今のふみは何をしても許される。私に遠慮はいらない」

背後の欄間(らんま)から光が射していた。志信の姿は黒い彫像のようであった。

「ふみの悲しみは、私にはわからない。そのつらさも苦しみも、わかってやりたいけど、本当にはわからない。陶子さんがなぜ亡くなったのか、どうしてこんな悲劇が起こってしまったのか、それも私にはわからない。これが現実だ。これが私という人間の限界だ。すまない、力になれなくて。ふみを助けてやれなくて……」

彫像の肩が震えている。

志信が泣いているのである。

ふみはあふれ出る涙を流れるままに、志信の手を取った。(つづく)

月の都(53)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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