老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
詩編71編9節(参考箇所詩編71編1〜24節)
現実の老いは凋落(ちょうらく)のプロセスを辿ることであります。生きてきた人生には、未達成のことや、後ろ髪を引かれることもあり、「老いることは、未完のわざを受容していくことである」といわれるように未完了の事どもをそのままに残しながら、やがて来る死を受容しなければなりません。
しかし、この詩編の作者は、凋落の老いに逆らおうとはしていません。現実を変えることは不可能だからです。彼は、次第に衰え、やがて力尽きる日がやってくることをよく知っています。だからこそ、元気であれば見ることもなく、知ることもないものが、衰えるがゆえによく分かるのです。
若ければ、己の力でこなし得るであろうことも、こなし得なくなった今、わずかであっても己を支える力は尊く感じるのです。ほんの一言の慰めの言葉が、明日への命をつなぎ、ちょっとした親切が今日を生きる支えとなることを若いときは感じることはなかったのです。これは老いを迎える者が持つ特権であります。
「老いの日にも見放さず」とは、決して大きな信仰を告白する言葉ではありません。主なるお方が、この老いの身を見ていてくださるのみで十分なのです。