わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
詩編22編10節(参考箇所詩編22編2〜31節)
まったく見捨てられた人は、どのように生きていけばよいのかを歌った詩編。全体を通じて主イエスの十字架の出来事を預言する詩編でもあります。作者は絶望の果てから叫びます。「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」と。主イエスもまたこの言葉を十字架の上で発せられました。
絶望の極みにあるとき、それはもっとも頼みとする神からも人からも見捨てられたかのように思うのです。作者は、「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑(あざわら)い、唇を突き出し、頭を振る」と己の惨めさを訴えます。もはやどこにも救いの手立てはないかのように思われます。
しかしこの作者は、まったく見捨てられたかのような思いの中にあって、これまで主なるお方に「より頼んで、裏切られたことはない」(6節)との思いを捨てることはありませんでした。なぜなら、徹底して見捨てられた存在であっても、その存在を母の胎内にあるときから与えてくださったのは主なるお方であるからです。
存在の付与者は、存在のありようを問われません。たとえ「人間の屑、民の恥」(7節)であっても、その存在は与えられたものです。存在を与えたお方は、けっして離れられることはないのです。