しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「・・・あの預言者は、『身を洗え、うすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」
列王記下5章13節(参考箇所同書5章1〜19節)
アラム(シリア)の将軍ナアマンは重い皮膚病を患っていましたが、預言者エリシャの噂を聞きイスラエルにまでやってきました。エリシャは直接彼と会うことをぜず、使者を遣わしヨルダン川に行き7度身を洗えば清くなると告げさせます(9〜10節)。ナアマンはそれを聞くや、エリシャは直接やってきて、いやすべきではないか、しかもヨルダン川より故郷のシリアの川のほうがよほどきれいであると怒るのです。そのとき、彼の家来たちがいさめて「あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」と言うのです。
この物語には異邦人ナアマンの改宗という意味もありますが、同時に信仰に入るときの心根を表わすものです。ナアマンは自分の目で見て分かるように理解しようとしたのです。しかし信仰は自分なりに納得すればそれで成立するものではありません。耳で聞いて、決断をすることを求めるものです。「身を洗え、そうすれば清くなる」、その言葉に従うかどうかということです。その決断を促す声を家来から聞くというのも信仰の不思議さと言わねばなりません。神は意外と思われるところに信仰ヘの入り口を用意しておいでになります。