二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。
マタイ18章20節(参考箇所同書18章18〜20節)
大きな慰めに満ちた言葉です。教会の集まりが少人数のときには、なんとなく淋しい思いをするものです。ある夕べ、いつものように聖書研究会を始めようとしましたが、どうしたことか、その日は一人だけの出席で、わたしと二人の集まりになってしまいました。「今日は止めましょうか」と言いますと、その方が「わたしはピアノを教えていますが、ピアノのレッスンは一対一です。まして聖書の学びに一対一が不都合なことはありません」と言われます。なるほどと思いました。
イエスは「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言われます。イエスは、二人または三人を少ないとは言っておいでになりません。わたしもその中にいるとおっしゃるのです。
ついつい人数の多い少ないを気にするのあまり、イエスがそこにおいでになることを忘れがちなわたしたちの思いに対する警鐘として聞く言葉であると同時に、二人、三人が主の下に集まっているなら、主もまたそこにおいでになる証拠だということです。なにも大人数だからといって、主がおいでになる証拠ではないのです。