イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい」。
ヨハネ21章17節(参考箇所同書21章15〜19節)
牧師といい、牧会といい、教会で使われる言葉には、羊と羊飼いの関係が秘められています。ヨハネ福音書10章を見るとイエスは御自分と従う者たちの関係を羊飼いと羊の関係にたとえられ、羊飼いは羊のために命を捨てるほどであり、羊もまた羊飼いの声をよく聞き分けると言われます。
このような関係は、教会でいう牧会配慮の働きの根底となるものです。それは単に心くばりをするという意味での配慮以上のことであり、さらに言うなら命がかかった関係であります。それこそイエスが命を捨てて人々を救ってくださった、贖(あがな)いのわざこそ究極の牧会ということであります。
これほどの深い関係は、教会でなければあり得ない配慮の働きです。現代社会の配慮関係の中には、これほどの深い配慮に満ちた働きを見ることはありません。しかし社会を見回すとき、学校や職場、家庭で悩みを抱えた人々、人生に生きづらさを抱えた人々を多く見かけます。これらの人々が深い配慮を求めていることも事実です。この時代における社会への牧会を教会は果たす責任が求められています。