イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。・・・」
マルコ4章26〜27節(参照箇所同書4章26〜29節)
神の国は、人間が関わることなくおのずと拡大し、実現して行きます。神は御自身の働きの達成のために人間の手助けを必要とされません。このような神の支配を知ることは、物事の考え方、受け止め方を豊かにするものです。
宗教改革者ルターはあるとき、ウィッテンベルク大学の同僚のフィリップ・メランヒトンに言ったとされる言葉が残されています。「フィリップよ、我々がこうやってウィッテンベルクのビールを飲んでいる間にも、神の言葉は前進する」。これをもって、なんと自堕落なと非難するのは早計です。ルターは徹底して神の言葉に信頼しているのです。神の言葉の力は、人間の力の及ぶところではありません。
人が手を加えて、神の言葉のためになにがしかの手助けをしなければならないとするなら、神の言葉を信頼しないことになります。わたしたちは信仰の目を通して自分の中に不思議さや驚きを発見することがあるでしょう。それは神の言葉から生じた茎や穂を見ていることに他なりません。そして予想もしないかたちで実りを手にするなら、知らないうちにわたしという畑に神の言葉が蒔(ま)かれていたことになります。神の恵みとは、そのようなものです。