今日1月4日は石の日。「い(1)し(4)」の語呂合わせです。
聖書には「石」がたくさん出てきます。新約には75回、旧約には222回。
まずイエスが言った言葉から。
「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ3:9)
「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう」(ルカ19:40)
また荒れ野の誘惑では、「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」(4:3)と悪魔に言われています。このように、石はたびたび聖書に登場してくるのです。
福音書や使徒言行録で印象的なのは「石打ちの刑」。姦通の現場で捕らえられた女のエピソード(ヨハネ8章)をはじめ、ステファノはそれで殉教し(使徒7章)、イエス(ヨハネ10:31など)もパウロ(使徒14:19など)もひどい目に遭っています。レビ記や申命記などに「石で打ち殺さなければならない」という、死刑にあたるさまざまな規定があるのですが、イエスは「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。
創世記では、ヤコブが心細い旅の途中、天使の階段の夢を見たとき、「石を取って頭の下に置き、その場所に身を横たえて眠り」(28:11)とあります。その後、目覚めたヤコブは、「本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言って、「頭の下に置いていた石を取り、それを柱として据え、その上に油を注いだ。そしてその場所をベテルと名付けた」(16~19節)。
ほかにも「つまずきの石」(エゼキエル7:19、ローマ9:32、33、1ペトロ2:8)という慣用句がありますが、「石」とか「岩」は神を表すのにも用いられました。不信仰な人にとっては、神こそがつまずきになるというのです。新約では、イエスのことがいわれています。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」(マルコ12:10)
「見よ、私はシオンにつまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、恥を受けることがない」(ローマ9:33)