今日9月15日は老人の日。2003年から「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、記念日として残すために制定されました。最初、中央社会福祉協議会(現・全国社会福祉協議会)が1951年に「としよりの日」と定め、66年から国民の祝日として「敬老の日」が制定されました。
聖書にはさまざまな老人が登場しますし、主要な人物はその生涯を描くので当然、老いた姿も出てきます。
旧約聖書では、「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」(箴言16:31)、「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(同20:29)とあるように、老人の知恵や人生経験や敬虔さは敬われるべきものとされています。
新約ではこのようにアドバイスされています。「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい」(1テモテ5:1)。「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい」(テトス2:3)
ペンテコステの説教でペトロは旧約の預言(ヨエル3:1)を引用します。「『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(使徒2:17)
私たちは若いときから、このように祈っていきたいものです。「わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください」(詩編71:18)
そして、歳を取ったとしても、「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(2コリント4:16)という信仰に立ちたいものです。
神さまはこう言われるお方だからです。「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(詩編46:3~4)