わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
マルコ2章17節(参考聖書箇所同書2章13〜17節)
イエスが徴税人や罪人と食事を共にされているのを見てファリサイ派が非難したことにイエスが答えられた言葉です。 一九世紀末、南ドイツのルーテル教会の牧師ブルームハルトはこう申しました。「キリスト教会は過失のないものでありたいと思い、事柄を頭でこねあげ、偉大なもの、気の利いたものであろうとし、人間の言葉で神の国を作ろうとしている。天にいます主イエスだけを崇めるのは何と容易いことであろう。イエスは罪人と結び合ったままで、崇められることを欲したもう」(子ブルームハルトの言葉:トゥルナイゼン著作集六巻 新教出版社)。 この言葉から、わたしたちはキリストの働き場である教会をあまりにも奇麗な場所に仕立て上げ過ぎてはいないかとの反省を促されます。教会ではまちがいのないことを語り、善意に基づく行いを心掛けていなければならない、とすることが常識と考えているなら、この主の言葉を今一度噛みしめてみる必要があると思われます。「イエスは罪人と結び合ったままで、崇められることを欲したもう」とは、どこがキリストの働き場であるかを最もよく教えるものです。
365日の聖書―創世記からヨハネの黙示録まで
賀来 周一 著