Q.「婦人会」「壮年会」というくくり方に疑問を感じています。歴史的、神学的な意義や根拠があるのでしょうか?(40代・女性)
人間がいるところ、必ずと言っていいほどグループが生まれますが、多くの場合、性別や年代を基盤としてできるようです。それが自然なのかもしれません。
日本の教会でも「婦人会」「壮年会」「青年会」という名称が示しているように、男女別や年齢を基にして各種の会やグループがつくられてきました。特別に神学的な根拠があってということではないようです。もっとも、教会の側にもその必要性がありました。教会が次第に成長し、拡大するにつれて組織化や機能性が必要になってきますし、大勢の人が集まるようになると、お互いの関係が疎遠になり、親密な交流やグループ形成を求める声も強くなってきます。その結果、いろいろなグループが生まれるようになったのでしょう。
確かにグループや各種の会は活動の推進や進展にとって効果的なものですが、反面、いずれかに属することを要請され、半強制的になる場合もあります。礼拝だけを守りたいと思っている人には、こうしたグループや会の存在は鬱陶しく、教会に対して疎外感を持つことにもなりかねないのです。難しい問題です。
ところで、今の世の中、「婦人」や「壮年」という言葉はほとんど使われなくなっています。なのに、なぜか教会は後生大事にしていますね。教会では性別や年代別を前提とすることからもっと自由になった方がよいと私は思います。
例えば、「婦人会」を「女性の会」と変えている教会もありますし、「婦人会」「壮年会」「青年会」といった男女別、年齢別を止めて、テーマ別、課題別の横断的なグループ作りを実行している教会もあります。グループや会を全廃したところもあるようです。
ある教会で「壮年会」の名称をやめて「ヨルダン会」としたところ、「寄る談会」と聞き違えてか女性たちが、「夜談会」と勘違いしてか若者たちが、集まりに参加するようになったと聞きました。とりあえず名前を変えてみるのも、よいかもしれません。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。