皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、コリント人への手紙第一7章です。それではよろしくどうぞ。
◆コリント人への手紙第一 7章14節
信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。
「クリスチャンはクリスチャンとしか結婚してはいけない」という教派と、「クリスチャンはクリスチャンじゃない人とも結婚してOK」という教派、実はキリスト教には両方あります。僕が通っている教会は後者の立場をとるので、クリスチャンじゃない人との結婚もOKなのですが、その根拠の一つになっているのが、今日の聖句です。
一方、「クリスチャンはクリスチャンとしか結婚してはいけない」という教派の根拠となっているのは「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう(コリント人への手紙第二 6章14節)」です。しかしこの聖句は前後を読んでも特に結婚について記されているのではありません。むしろ偶像礼拝をやめなさい、ということが記されています。
その点、今日あげた聖句は明らかに結婚について記されている箇所ですから、そちらを採用する方が自然かと、個人的には思います。ただ、確かにクリスチャンとノンクリスチャンの結婚生活では、トラブルの話もちょくちょく聞きます。「パートナーが日曜日に必ず礼拝に行くのでなかなか旅行にもいけない」とか「悩みを相談するとすぐに祈り始めるのが困る」とか、色々あります。でも結婚って価値観の共有が大切ですから、こういった価値観の相違って、クリスチャンとノンクリスチャンの夫婦に限らず、他の結婚でも往々にして起こることかとも思います。
ですから、「ノンクリスチャンと結婚しちゃダメってこともないけれど、クリスチャン同士であるに越したことはない」くらいに僕は思っています。まだ結婚もしていないですし、する予定もないのですが。
お付き合いしていた人に「食べる前にいちいち祈るの面倒」とか「日曜日の礼拝って、月に1回とかじゃダメなの?」とか言われたことはあります。お別れしたのは別の理由でしたけど。金銭感覚とか。食事の好みとか。掃除の頻度とか。「暇さえあればプロレスか相撲の話しかしないじゃない!」とか。
愛情の機微とはむつかしいものですね。
それではまた。
主にありて。MAROでした。