今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から、皆様の役に立つこととか立たないこととかを話してみようという【聖書からよもやま話】、
今日、選ばれたのは旧約聖書、エゼキエル書2章です。それではよろしくどうぞ。
◆エゼキエル書2章6節
人の子よ。あなたは彼らや彼らのことばを恐るな。あざみと茨があなたと一緒にあり、サソリの間に住んでも、恐るな。そのことばを恐るな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。
ここに記されている「人の子」というのはこの書の主人公であるエゼキエルのことです。ですからこの聖句では、神様がエゼキエルに「君はこれから預言者としてイスラエルの民に語らなければいけない。イスラエルの民はそれに反抗したり無視したりするだろうけれど、君はそんなことは気にせず、語り続けなくてはいけないよ」と、語りかけているんです。
何か意見を言う時、「これを言ったら嫌われるんじゃないか」とか「これを言ったら炎上するんじゃないか」とか不安になることは、現代社会でも多いと思います。僕も今、この原稿を書きながらでも、心のどこかでそんな不安はあります。でも神様は「そんなこと恐れるな」と言うんです。
もちろん、いらんことを言って炎上したり嫌われたりするのは避けたほうがいいと思います。しかし、どうしても言わなきゃいけないことは、恐れずに言うべきです。たとえそれで嫌われたり、自分の立場が悪くなるとしても。反対に言えば、言うべき意見を言うなら自分の立場が悪くなったり嫌われたりすることは覚悟しておけ、ということでもあります。神様は知っているんです。誰でも真理を語る人は嫌われたり立場が悪くなったりすると。だからこそ、その逆風をものともせず、決然として語る勇気が必要なんです。
「自分の意見は言いたい!でも嫌われたくない!」というのは無理な注文なんです。なぜなら人間は真理を嫌うように、罪によってできているからです。神様に関する真理は中でも特に避けたがります。
「誰も君のいうことを聞かないかもしれない。君を攻撃する人もいるかもしれない。それでも語れ。語り続けろ。」神様の宣教のみならず、どんなことでも世の中を変えるコツは「語り続ける」ことなのかもしれませんね。
僕もここで語り続けようと思います。
でもやっぱり責められるのはイヤです皆様、神様。
それではまた。
主にありて。MAROでした。