Q.相性が合わず教会を転々としています。やはり特定の教会に籍を置くことは重んじるべきでしょうか。(30代・女性)
信教の自由があるのですから、あなたがどこの教会に通おうとかまいません。相性が悪ければ、どうぞ転籍を。人生は短い。生きた神の言葉が語られている教会をひたすら探し求めるあなたの求道の姿勢、誰が批判できましょう。ひょっとしてそのことで教会側に迷惑がかからないか、などと心配されていますか? 大丈夫。経験を積んだ牧師なら、あなたのように渡り歩いてくる信徒に対し上手に距離を取りつつ(?)対応してくれます。
また他の教会に移ろうとしても、決して後追いはしないことでしょう。時折、あなたのような存在が問題となり、教会自体が揺れ動くことがあります。でもそれはあなたの問題ではなく、あなた一人に振り回されてしまう脆弱な役員会・長老会、不十分な教会形成が問題なのですから気にしないこと。
教会に限らず、定住できない人がいます。その人を強引に1カ所に押しとどめるとかえって多大な問題を周囲にもたらします。1カ所の教会に生涯とどまるクリスチャンもいれば、渡り歩くことで信仰を保っていくクリスチャンもいるのではないでしょうか。
問題は、あなたが教会を転々としていることに、どこか引っかかりを感じていることです。確かにあなたの生活には特定の教会にとどまることで生まれるしがらみも衝突もない。けれどしがらみも衝突もないからこそ、信仰の成長を実感できていないのではないですか? 転籍するたびに友だちが増えるのではなく、誰も別れを惜しんでくれない寂しさが募ってきているのではないですか?
あなたの姿は、帰る母港を失った船のようです。船は帰るところがあってこそ船。帰る港を失った船は、ただの漂流物です。問題のない家庭がないように、問題のない教会もない。しかしどんなに問題を抱えていようとも一つの帰るべき教会、あなたの母港を見出すことは重要です。終わりのない孤独な航海が終了できるよう、心から願っています。
しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。