パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも、一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの。(コリントの信徒への手紙I 3章22〜23節)
パウロは今日の聖句で、人間が支配されやすい諸々の力を挙げて、これに支配されないキリスト者の自由を述べる。
「パウロもアポロもケファも」とは教会の指導者である。人は特定の宗教指導者を崇め、これに支配されやすい。指導者は人を導く務めに召された神の僕(しもべ)にすぎない。ゆえに、指導者と信徒は主従の関係ではなく、神に仕える同労者の関係である。
「世界」とは世間や社会のことである。私たちは周囲の人の言動に振り回されたり、社会の風潮に流されやすい。しかし、世界は私たちが神を信じて生きる場であると知る者は、世界に振り回されないで、神にあって固く立つことができる。「生も死も」とは運命のことである。人間は偶然に生まれ偶然に死ぬと考える者は、理不尽な運命に服する以外にない。しかし、私の生も死も神の賜物であると信じる者は、生を感謝し、神に召される日まで一日一日を精一杯生きる。「今起こっていることも将来起こることも」とは、自分の身に起こるさまざまな現実である。それは、良いことばかりではなく、厳しいことも多い。しかし、どんな現実も、神の愛から私たちを引き離すことはないと確信する者は、厳しい現実も前向きに受け止める。
パウロは続けて、「あなたがたはキリストのもの」と語る。私たちキリスト者はキリストに属する者であり、私たちが従い、また支配されるのはキリストのみである。キリストにのみ従う時、私たちは何者にも支配されない自由な人間である。