「わかりやすい」という言葉が、非常に脳に焼き付いています。教師の時代、どれほど「もっとわかりやすい授業を!」と言われたか。どれほど私の授業は「わかりにくい」と言われてきたか。どれだけ、苦労してきたか。どれほど(無駄な)努力をしてきたことか。
なぜ、私の授業はそんなにわかりにくかったのか、いまは理解できます。教師じゃないからね。つまり「わかりやすい」というのは主観であり、誰にとってわかりやすいのか、ということになるのです。クラス40人中35人くらいにとってわかりやすかったら大成功。残り5人は、わかってないでしょうけど、周囲のみんなはわかってるみたいだし、わからないのは自分の責任だと思わざるを得ない。しかし、40人中2人わかるけれど、38人がわからない授業は、崩壊します。そして、崩壊したら、そのわかっている2人までわからなくなります。
私は、自分にとって「わかりやすい」授業をしていたのです。それは、論理的に穴のない授業。私は空気が読めないし、論理的なものなら頭に入るので、教科書みたいな授業をしていたのです。実際、よく「教科書の丸写しすぎる」という批判もいただいておりました。それで、なるべく教科書とは値を変えようとしてみたり、でもそのころには、私のやることなすこと批判されるようになっているので、値を変えたことで批判されたり、もうむちゃくちゃでしたが、とにかく、「わかりやすい」ということは「わかる授業」とは違う。「わかる授業」は、論理的に穴がなく、順序だてて聞けば、必ずわかる授業。でも、そういうものって、往々にしてわかりにくいんですよね。私自身でさえ、そうです。取扱説明書とか、苦手です。でも、取扱説明書でも、きちんと読んでいるのに理解できないものがあります。これは、取扱説明書がよくない。自社の製品をきちんと一から説明できない人が書いているのだ。
発達障害に関する勉強会で、「発達障害について、わかりやすいDVDなどはありませんか? なるべく理論的でないもので、雰囲気で理解できるものでお願いします」というリクエストがあった。なんということもなく講師はお勧めを挙げていたが、これこそ空気の読める人でないと理解できないもので、「理論的でなく」「雰囲気で理解できるもの」というあたりが、そうである。ちなみにその会は、私のような発達障害の当事者の行く会ではなく、自分は発達障害ではない、部下に発達障害がいるという上司や、人事の人のための勉強会だったので、みなさん普通に空気は読めるのである。
ある「エクセルのマクロの教科書」を読んだとき。文字通り「教科書」のようなものを期待して買ったのだが、まず定義されていない言葉が出てきて面食らう。しかし、まずは例として載せているのだろうと思って先へ進むと、何回もその言葉は出てくる。しまいにはその言葉はわかったでしょう、という書き方がしてある。私にとっては極めてわかりにくい。それは「教科書」と名乗っちゃいけない。ちなみに帯の宣伝文句は「わかりやすいマクロの教科書」。
ずいぶん、いろいろな人の授業も見学しました。でも、いい授業を見学すると自分の授業もわかりやすくなるかと言ったらそうでないこともわかっていた。お笑い芸人の番組をたくさん見たらトークがうまくなるとか、プロの演奏をたくさん聴いたらフルートがうまくなるわけでもないのと一緒。それから、各種教師の研修会も行きましたけど、「いかにしてデキる教師になるか」というものばかり。「ダメな教師が、せめてマシになる研修会」というのは皆無でした。
事務の仕事も、そもそものところがわからないとわからない。「普通、考えたらわかるだろ!」と言われるんですが、私にはわからない。開き直っているわけじゃないですよ。ほんとうに困っているのです。一度、先輩の口から「どこから説明したらよいのか……」という言葉がもれ出たことがあります。そのとおり、物事をゼロから積み重ねるように説明することは、とても難しいことなのです。私はそれができるから、プログラミング(=コンピュータという空気の読めないものにゼロから教えること)のセンスはある。プログラミングのセンスはあるが、機械音痴でパソコン音痴なので、プログラマーにはなれない。
とにかく「わかりやすい」という言葉は非常に難しい言葉です。なにをもってわかりやすいというのか。誰にとってわかりやすいというのか。異なる2点を通る直線は1本存在し、しかも1本だけ存在しますが、同一直線上にない3点を通る平面が1枚存在し、しかも1枚しか存在しないのは、どう説明したらよいのであろうか。一角形、二角形は存在しないように、三面体も存在しないのだが、どうやって説明したらよいのであろうか。どれは「当たり前」で済む話であろうか。40人中35人がわかればよいのか(わかった気になればよいのか)。
「わかりやすい」ってなんだ!!?
腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。