イエス様は雨でも傘をささなかった

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◆6月11日 傘の日

6月11日に暦の上での「入梅」を迎えることが多いということから、日本洋傘振興協議会が1989年に制定した記念日です。

ところで、聖書には「傘」という単語は一度も出てきません。イエス様をはじめ、聖書の登場人物達は雨が降ったらどうしていたのでしょう。まだ当時は傘が発明されていなかったのでしょうか。・・・と調べてみたら、傘自体は紀元前4000年頃のエジプトには既にあったようですが、もっぱら日傘として使われ、雨具としては使われていなかったのだそうです。雨具として傘が用いられるようになったのは17世紀頃のことだと言われています。それまでの人たちは「雨が降ったら外に出ない」「雨宿りをする」「諦めて濡れる」が基本だったようです。

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ですからイエス様も雨傘をさすことはなかったはずです。まぁ、イエス様なら雨に「やめ!」と命令してやませてしまうこともできたかもしれませんが。それに、聖書では基本的に雨は「良いもの」とか「恵み」として扱われていますから、むしろ雨が降るとみんな喜んで浴びたりしていたのかもしれません。もちろん、ノアの洪水ほどの雨なら話は別ですけど。そもそもノアの洪水ほどの雨だったらもう傘をさすとかそういうレベルの問題ではありません。なにせ雨具として船を作らないといけなかったレベルですから。

ちなみに現代でも世界では雨が降っても傘をささないという人たちがたくさんいます。むしろ小雨でも傘をさす日本人の方が少数派のようです。

そろそろ東京も梅雨入りですかね。

それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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