Q.私の属する教派には、牧師の定年について明確な規定がないので、いつ引退すべきか悩んでしまいます。引き際が肝心だと思うのですが。(70代・牧師)
「〝まだやれる〟が辞め時で、〝ぼつぼつ〟は、すでに手遅れ。〝辞めろと言われたとき〟には、死んだも同然」。先輩の牧師から言い聞かされてきた言葉です。なにごとも引き際が肝心ですが、総じて牧師の引き際は難しいようです。
教会や教団レベルで「定年制」を引いているところは問題が少ないようですが、そうでないところでは牧師の「隠退(引退)」がしばしば混乱を引き起こします。というのも、「死ぬまで現役だ!」と意気盛んな牧師がいるかと思えば、「先生、いつまでもこの教会の牧師でいてください」と懇願する信徒もいて、話がややこしくなるのです。でも、たいがいその行き着く先は悲劇です。
牧師の引き際はいつごろが適当なのか、それぞれの事情があって一概には決められませんが、民数記にはレビ人(祭司)の任期として「五十歳からはその仕事から身を引かなければならない。再びその仕事をしてはならない」(8章25節)と規定されています。しかし、現代ではそうはいかないでしょう。たとえば日本基督教団の統計によれば、教師の隠退時の平均年齢は72歳ということですから、一つの目安になるかもしれません。
しかし、健康状態や気力は人によって違います。いつが適当な時期かの判断は難しいのですが、少なくとも牧師としての「賞味期限」を自覚することは必要だと思います。もっとも「消費期限」を過ぎてもまだがんばる人があるのも事実ですが……。
私自身はモーセの引き際の潔さに憧れます。約束の地に渡っていくことを許されず、ヨシュアにその権限のすべてを託してモアブの地で最期を遂げたモーセは、「百二十歳であったが、目はかすまず、気力もうせていなかった」(申命記34章7節)とあります。実に見事な引き際です!
ところで私はと言えば、モーセの歳まであと50年以上もあるのです。どうしましょう!