あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になリたい者は、すべての人の僕になりなさい。(マルコによる福音書10章43〜44節)
弟子のヤコブとヨハネが主イエスに近づいて、願いを叶えてほしいと言った。主が「何をして欲しいのか」と言うと、二人は主イエスがイスラエル王国を復興した暁には、自分たちを最高の地位につけて欲しいと言った。彼らにとって、主イエスに従うことは自己実現の道であった。主は彼らに、「あなたがたは自分が何を願っているか分かっていない」と言い、それから、他の弟子たちも呼び集めて、「異邦人の間では、支配者とみなされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振っている。しかし、あなたがたの間では、そうではない」(42〜43節)と語った。この世は競争社会である。権力、財力、武力などの力を得た者が人の上に立ち、下の者を支配する。力による支配関係であるから、力を失えば壊れる関係である。力による支配関係は、家庭であれ、職場であれ、国家の間であれ、真の交わりは成り立たない。主は弟子たちに「あなたがたの間ではそうではない」と言った。神の国に招かれた者は地位や名誉心から自由にされるので、人の上に立って支配しようとする筈がないと言ったのである。そして、今日の聖句を語った。
教会は神の家族である。私たちは人を支配するのではなく、兄弟姉妹として仕え合う。各々が与えられた賜物に応じて、主に仕え、人に仕えるのである。人の上に立つ務めもあるが、その人は支配する者ではなく、仕える者である。私たちは「主よ、私を用いてください」と祈り、与えられた務めを精一杯した後は、それを神に捧げ、神に委ねる。人の評価に縛られない。主イエスの生涯は、人を神の愛の中に生かすためにご自分を捧げ、仕えた生涯であり、その極みは十字架の死であった。