5月21日「神の国に入るのは、なんと難しい」

神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。(マルコによる福音書10章24〜25節)

一人の人が主イエスのもとに来て、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と質問した。彼は裕福であったが、魂に渇きがあった。主イエスは彼に、「殺すな、姦淫(かんいん)するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という神の掟を示した。彼はいとも簡単に「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えた。神の掟は、彼にとって自分を高める手段であっても、神から自分の愛や誠実さを問われるものではなかった。彼は救いの確かさを神に求めないで、自分に求めていたのである。主は彼を慈しんで、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」と言った。主が彼に求めたのは、従うことである。財産を売り払って慈善をすれば、永遠の命を受け継ぐというのではない。主に従うことを妨げるものがあれば、それを捨てよというのである。彼はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである。

主イエスは立ち去る彼の後ろ姿に目を注ぎながら、今日の聖句を語った。弟子たちは驚いて言った。「それでは、だれが救われるのだろうか」。主は言った。「人間にできることではないが、神にはできる」。持っているものを手放して、主に従うことは、私たちにできることではない。しかし、神はそうさせることができる。私たちに主イエスに従う信仰と、永遠の命を与えてくださるのは神である。それゆえに、私たちは日々、「主イエスに従う信仰と力を与えてください」と祈りつつ、歩む。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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