世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠のカと神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。(ローマの信徒への手紙1章20節)
私たちにとって神を知ることは自明ではない。しかし、今日の聖句は神の啓示を語って、「従って、彼らには弁解の余地がありません」(20節)と言う。宇宙の規則正しい運行、自然の調和と美、人間の身体の仕組みなどを注意深く観察すれば、この世界は偶然にできたのではなく、深い叡智(えいち)をもっ創造者の手によって成ったことが分かる。また、自由意志と永遠の世界を思う心とを持つ人間は、神に応答すべき存在として創造されたことが分かる。にもかかわらず、人は神に感謝することも、神を崇(あが)めることもせず、倣慢(ごうまん)にも自分の知性を誇って生きている。「真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます」(18節)。人間社会の混乱と人間の生きる意味の喪失は、神を神として崇めない人間に対する神の審きである。
人間の不信仰に対する神の怒りは、神の愛の反面である。神の怒りと神の愛がはっきりと啓示されている場所は、イエス・キリストの十字架である。神は忍耐をもって人の罪を見逃しておられたが、時が満ちたとき、御子を通して神の救いを現された。すなわち、罪なき神の御子が人間の罪と神の怒りを引き受けて死んだ十字架に、神はご自身の救いを現された。十字架上のキリストの叫びに、人の罪に対する神の怒りと、人の罪を償い、永遠の命を得させる神の恵みが現れている。神は被造物を通してだけでなく、御子イエス・キリストを通して、ご自身を私たちに啓示されたのである。