12月31日「網を降ろし、漁をしなさい」

沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい(ルカによる福音書5章4節)

ゲネサレト湖畔で漁師たちが網を洗っていた。彼らは夜通し働いたが、不漁だった。網を洗う彼らの背中に、失意と不安を抱えて生きる人間の悲しみが浮かんでいる。主イエスは彼らに声をかけ、舟に乗せて少し漕ぎ出してほしいと頼んだ。そして、腰をおろして舟から海辺にいる人々に教えた。話し終わると、主イエスはシモンに今日の聖句を語って、彼の行動を促した。

陽が高くなってから、しかも、沖に出て漁をせよという主イエスの言葉は、長年漁師として培ったシモンの経験と常識を超えていた。彼は「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)と答えた。自分の経験や常識を超えているが、「しかし」と言って、シモンは主の言葉に従った。すると、沢山の魚がかかり、網が破れそうになった。シモンたちは主の言葉に従うことによって、自分たちの経験や常識を超えた世界を知った。

「沖」は、原語では「深い所」である。「深みに乗りいだし、網を下して漁れ」(文語訳)。主イエスはシモンたちを沖の深み、見えない世界に漕ぎ出させた。主イエスが招くのは、見えない神の国である。私たちが主の言葉に促され、信じて従う時、この見えない深みの世界を知るようになる。この深みの世界が、見える世界で生きている私たちに希望を与える。悲しみや苦しみに打ちひしがれそうな私たちに、生きめぐる勇気を与える。困難の中にいる方が心の支えを聞かれて、「聖書に巡り合ったことで、小さな世界と大きな世界の両方を見られるようになったことです」と答えた。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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