【クリスチャンな日々】第28回 コロナ禍でこそクリスマスは輝く MARO

主の御名をあがめます。

メリークリスマスです。MAROです。
ちょうどクリスマスの朝にこの連載が持てる幸運と光栄を神様に感謝します。

皆さま、どんなクリスマスをお過ごしでしょうか。教会に行った方、ちょっと良いディナーに出かけた方、家族でケンタッキーを食べた方、何もせずいつも通りに過ごした方、年末の仕事で忙しかった方・・・色々あると思いますが、今年は例年以上に「思うように過ごせなかった」という方も多いのではないでしょうか。

例年なら24日の夜には街のあちこちでクリスマスイベントやコンサートが行われたり、カップルが素敵デートを繰り広げたり、仲間で集まってホームパーティをしたり・・・と「キラキラなクリスマス」を過ごす人も多いですが、今年はきっと少ないです。教会でさえ、クリスマスの食事会や祝会の中止や縮小を余儀なくされているところが少なくありません。今年のクリスマスは世界的に「思うようにならない」クリスマスです。こんなに世界中が一様に「思うようにならない」クリスマスは前代未聞と言えるでしょう。

でも、もともとのクリスマスの出来事に思いを馳せてみますと、もしかして「思うようにならない」クリスマスこそ、クリスマスの本当の姿かもしれません。だって、2000年とちょっと前のあの夜、マリアさんとヨセフさんは「思うようにならない」夜を過ごしていたんです。考えてみてください。マリアさんもヨセフさんも、本当なら自分の家か、せめてどこか暖かいところでお産をしたかったに違いありません。わざわざ「馬小屋でお産をしたい」なんて思う人はいないですから。それでヨセフさんは「どこかお産できるところはないか」と探しに探しましたが、どうしても見つからず、マリアさんは仕方なく馬小屋でのお産をすることになったんです。そして生まれたのがイエスさまです。

思うようにならなかったところに、神様の祝福が届いて、羊飼いたちが祝福にやってきたり、東方の博士たちが贈り物を持ってきてくれたりして、イエスさまの誕生日は2000年経った今でも祝われるほどの豊かなものに変えられましたが、マリアさんもヨセフさんも僕たちと同じ人間ですから、未来を見通すことなんてできません。どれほど不安だったことでしょう。「神様、この子はあなたの子なんでしょう?どうしてこんなところで産ませるの!?」って思ったかもしれません。「こんなはずでは・・・」って思ったかもしれません。

クリスマスに限らず、今年は「思うようにならない」一年だったかもしれません。そして今年に限らず、人生には「思うようにならない」ことがたくさんあります。でも、僕はこれまでのクリスチャンとしての年月から信じています。「思うようにならない」ところにこそ、神様は豊かな祝福をくださるのだと。

人間はどうしても「思うようにしたい」と願う存在です。でも、そこには神様の本当の祝福はありません。聖書で神様に登場する人物はみんな例外なく「思うようにならない」ことを通して神様に祝福され、選ばれ、大きなことを成し遂げました。

聖書のメッセージは「人間が自分で思い描くことには限界がある。でも神の思い描くことは無限である」ということです。さらに言えば「自分を『自分の思い描くもの』に閉じ込めるな」ということです。計画は自分を駆り立てるものである一方で、自分を縛るものでもあります。計画を立てることはもちろん大切なことですが、計画に縛られてはいけません。自分の思うようにならない時こそ、神様が自分では想像もできないほど豊かなものを用意してくださっているかもしれないんです。

「計画通りの時」は一般的にはチャンスと思われますが、聖書の世界ではそれはむしろ人が罪に陥(おちい)るピンチです。反対に「計画が外れた時」こそ、人が飛躍する、神様の手で新たなステージに置かれるチャンスなんです。

クリスマスは冬至と共に祝われます。冬至は多くの文化圏で祝われる日です。どうしてこの日を祝うかと言えば、日が一番短くなり、明日からは日が長くなる一方だからです。つまり「これからよくなるぞ!」という日なんです。

クリスマスの何よりもすごいところは、当たり前のことですけど「思うようにならない」ところにも同じように必ずやってくるところです。今年一年、順風満帆だった人にも、逆境だった人にも、朝が来れば日が昇るのと同じように、年の終わりに必ずクリスマスはやってくるんです。

僕はクリスチャンになって17回目のクリスマスを迎えましたけれど、17回、毎回違うメッセージを神様はこの日にくれるんです。その度に、良かった年も悪かった年も、心を温めなおして、新しい年への希望を抱きます。どうか皆さんにも、クリスマスの温かいメッセージと愛が届きますように。そして豊かな祝福がありますように。

史上まれにみるほど多くの「計画」が流されてしまったこの2020年の終わりにやってきたこのクリスマスが、皆さんにとって幸せなチャンスとなりますように、神様の計画が皆さんの上にありますように祈ります。

それではまたいずれ。
MARO
でした。

主にありて。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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