10月29日「見よ、神の小羊だ」

見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 (ヨハネによる福音書1章29節)

バプテスマのヨハネは自分の使命を 「『主の道をまっすぐにせよ』 と荒れ野で叫ぶ声である」 (1・23)と言った。そのヨハネが主イエスを指さして言ったのが、今日の聖句である。

世の罪とは、神に造られ生かされている人間が、神を認めず、崇(あが)めず、神に背を向け、神の栄光のために生きないで、自分の栄光に執着して生きていることである。この罪のために世界は虚無と暗闇に覆われている。

神は預言者たちを通して、世の罪を取り除き、新しい世を創造する神の救いの計画を語った 。預言者イザヤは、神が世の罪を取り除くために遣わすメシアは贖罪(しょくざい)の小羊のように人の罪を負って死に向かう神の僕(しもべ)であると預言した(イザヤ53章)。 そして、最後の預言者であるバプテスマのヨハネは、主イエスを指さして、「罪を取り除く神の小羊」と言った。

文明や科学が発達しても、法律や道徳を押し付けても、世界に混乱をもたらす人間の罪を取り除くことはできない。罪を取り除くことができるのは、神だけである。神は御子(みこ)イエスによって、信じる私たちの罪を贖(あがな)い、神の愛と恵みによって育み、御心(みこころ)にかなう者に変えてくださる。そして、神が罪に満ちた世界を終らせ、新しい世界を再創造される時、私たちを御国(みくに)の民として迎えてくださる。

私たちは、この世において、神の御心を聞きつつ、また、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」(マタイ 6 ・10)と祈りつつ、神の御心を行う。なによりも、神に命じられた御心として、罪を取り除く神の小羊イエス・キリストを宣べ伝える。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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