前回までのあらすじ
ロックシンガー石川ヨナのこぶしに魅せられたぼくはその金髪のひみつに迫ろうと……。
ぼくはヨナの金髪頭には、みんなと同じであることによって身を守ろうとする恐れ、神なき恐れに対する抗議がある、と直感した。ただあまり勝手なことばかり言ってもいけないので、ぼくのにらんだとおりか、ヨナに聴いてみた。するとヨナはこう語った。「頭が金髪なのは、神様は私が与えられた自分をどのようにデザインして表現を生み出すのか、愛情いっぱいに楽しみにしてくださいます。それは音楽のみではなく、ビジュアルデザインやステージパフォーマンス、生き様も含めた、全人格存在の、主を見上げた真摯な表現活動(礼拝)です。私はロックンロールを司る者として召され成長させられていて、その過程で金髪や赤髪になったりしますが、基本的にはすべてのキリスト者の方々と同じ原理です。ローマ12:1~8にあるとおり」と。そしていたずらっぽくつけくわえたのだった。「クリスチャンの世界に対しては……相手の目線や態度、価値観を見る効果もあり、そのことも楽しんでいます」。ぼくはぎゃふんとなったのだった。
19世紀に大きな働きをした2人組がいる。アメリカのアイラ・D・サンキー(1840~1908年)とドワイト・ライマン・ムーディー(1837~1899年)だ。いまは、あえて逆に書いたが通常はムーディーとサンキーと呼ばれている。ムーディーが説教し、サンキーが賛美をした。サンキーが特に得意としたのは「九十九匹のひつじ」という歌。ルカ15章4節に由来するこの賛美歌は、聖歌429(新聖歌217)で日本でも知られているが、実はこの立派なひげのメソジスト信徒の作曲だ。このコンビが行くところ多くの人びとがなだれを打って回心したという。ヨナに会ったときふとぼくはこのコンビのことを思い出したのだった。
音楽には力があるのだ。いや、神様は人の心を開くためにありとあらゆる手段を用いられる。いわば難攻不落の砦にどこか浸透できる隙間はないかと探すように。そしてしばしば音楽によって人のたましいをゆさぶり、そのゆさぶりによってできる隙間ならたましいに入り込まれるのだ。ヨナに会って、実際はリアルに会ったことは一度もないが、ぼくが思ったのはそんなことだ。
ヨナのこぶしといっしょに世界を回りたいと思った。神様に対して堅く堅くガードを堅めたアルマジロのような世界。ぼくが語ろうとすると、大丈夫です、すなわち余計なお世話をやくなと耳をとじる。チラシや本を手渡そうとすると、けっこうです、すなわちだまされるもんかと目を閉じる。そんなたましいにヨナの心地よい低音がよりそい、ギザギザな歌詞が聴き耳を立てさせ、捨て身のアクロバティックな旋律がツルツルの鎧(よろい)に爪を立てて振りむかせる。
そこにぼくの語りうる限りの福音を語りたいのだ。声が枯れるまで。言葉を使い尽くすまで。もう涙が出なくなるまで。主イエスの愛を、そのあわれみを。それがあんたのためだと。あんたのためになにも惜しまなかった方がいる。あんたは、あんたは、自分なんてなんの価値もないと思っているが、それがあの方のこころをひきさくのだと、それがあの方のこころに血をながさせるのだと。その名は、その名は、ジィィィィィィィザァァァァァァーーース!!!! ついロックになっちまった。ところがヨナはぼくのそんな思いに尖ったロックなブーツで蹴りを入れたのだった。
ヨナはあなたとは働けないと言った。ぼくは、この生意気な小娘め、などとはまったく思わなかった。考えてみたらすぐわかる。あなたの教会の伝道委員会で、だれかが伝道のために音楽コンサートをやろうと言い出して、人選が始まる。最終的にクリスチャンですばらしい音楽家とクリスチャンでなくてさらにもう少しだけすばらしい音楽家が残った。さあ、結論はどうなるか。だいたいは前者が選ばれるのではないだろうか。
あるいは教会の集会に音楽家が招かれていく。祈り、整え、いまメロディはあふれ出そうとしている。ところが最初に出てきた証し者が語り過ぎた。それもよく整理もされていない思いつきの内容で、自分に酔ったような言葉が時間を呑み込んでいく。予定された時間を超えて。すると司会者がやってきて音楽家にささやく。後の説教者の始まりの時間はずらさない。あなたが吸収してくれと。
こんな出来事が起こるのは、ムーディー>サンデー・シンドローム、つまり音楽が教会で客寄せパンダのような扱いを受けるからだ。でもおいらはちがう。おいらはロックな牧師だ。あんたの歌がおいらの言葉を引き出し、おいらの言葉があんたのメロディに重なっていく。そうやってだれも見たことがない景色を見たいんだ、あんたと、2人で。そんな意味のことを、もう少しふつうの言葉で言ったとき、ヨナはこういったのだ。
「考えたことを書きます。私は音楽家です。ですので、『2人で組んで伝道集会をやりましょう』というのは誤った姿勢だと思います。私は音楽を創り、鳴らすことに召されています。地上でその事に命をかけて取り組んでいます。主にこの領域を託されているからです。クラウドファンディングは、主の召しに応えるための、この苦しい時代の中での懸命の策です。そのご理解とご協力を仰ぐために、私はアピール活動をしています。ですので、『アピールの場を与えていただく』というのが、私の立場です」と。(つづく)
・石川ヨナOfficialホームページ:https://ishikawayona.bitfan.id/
・石川ヨナOfficial・Facebook https://www.facebook.com/ishikawayona
・クラウドファウンディングページ:https://camp-fire.jp/projects/view/299649
・サードアルバム『栄冠』に収録予定の楽曲、自作のDEMO音源を動画にまとめました(収録はこの他にも数曲、全5〜6曲のミニアルバムを予定しています)。