緊急事態宣言が解除されたので、7月の初めにお寺の本堂で久しぶりにライブイベントを開催した。もちろん、政府の定めるガイドラインにのっとり、本堂に入る前に全員を検温し、演者とお客さんの間には距離を空け、収容人数も通常の半分以下に留め、感染拡大のリスクを極力抑えた。それにもかかわらず、「自粛するべきだ」「ニュースを見てないのですか」と厳しいクレームが寄せられた。「ああ、これがニュースで報道されている〝自粛警察〟なのか」と実感した。
ただ、お寺の中に暮らしていると〝自粛警察〟の取り締まりにあうのは、コロナ禍の今に限ったことではない。〝新しい生活様式〟よりもはるかに制約の多い自粛生活の中に身を置き、煩悩を滅するための修行に励むのが仏教である。その指導者は弟子たちに自粛要請を発し続ける役割を担う。
伝記によれば、お釈迦さまが亡くなった時、集まった人々が悲しみに暮れる中で、弟子スバッダだけが喜んだという。スバッダは、お釈迦さまが「このことはしてもよい。このことはしてはならない」と行動を規制することを嫌っていた。だから、「なんでもやりたいことをしよう」と、未来への希望に満ちた言葉を放った。いわば、スバッダにとって、お釈迦さまは厄介な〝自粛警察〟だと映っていたことになる。あいにくスバッダの願いがかなうことはなかった。お釈迦さまの入滅後も、教団の生活様式は弟子たちによって継承され、「律」として整備された。
お寺に生まれ育った私には、自分の親が「お寺らしさ」を求める〝自粛警察〟だと映っていた。例えば近所の駄菓子屋で友だちと無邪気に買い食いをしていると、「お寺の子なのにはしたない」と、親からたしなめられた。だが、子ども時代の私に「お寺らしさ」など分かるはずもなく、理不尽な要求にしか思えなかった。大人になって以降も、「お寺らしさ」から逸脱した行動をとれば、各方面からクレームが届く。私のお寺ではアイドルプロデュースはじめ数々の奇抜な教化活動を手掛けていて、「お寺らしさ」から絶えず逸脱するから、〝自粛警察〟の格好の的になっている。
したがって、お寺でのライブイベントに対して、冒頭に書いたように〝自粛警察〟がやってきたところで、驚いて動揺することはなく、「またか」と思う程度である。行き過ぎた取り締まりは褒められたものではないが、私自身の生活のあり方に多くの人が関心を寄せてくれていること自体は、うっとうしいよりもむしろありがたいと思う。生活の隅々まで配慮して生きようとする意欲につながるからである。
さて、新型コロナウィルスに免疫をもたらすワクチンが開発されるまでは、私たちは感染拡大を回避する行動を徹底するよう求められる。多くの人はこれを、お釈迦さまのおせっかいを嫌った弟子スバッダのごとくに、つらく煩わしい日々だと受け止めるだろう。しかし、社会の厳しい眼差しを浴びながら暮らす「ウィズコロナ時代」は、自らが日々の行動のあり方を見つめ、社会全体を規律あるものに変革していく好機だと理解することもできる。
束縛を受けずに自由に生活をしていたコロナ以前の時代が、本当に幸せだったのか。〝不要不急〟の会議、やむを得ず参加していた飲み会。無価値だと思いながら惰性で受け入れていた生活習慣のすべてに別れを告げる、願ってもないチャンスが到来している。そう考えるなら、コロナ禍の中の日常は、お坊さんの修行生活のごとく、実りのある人生を探求する歳月になりゆくだろう。
池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽