黒人男性が5月25日、偽ドル札使用容疑で警察官に拘束され、膝で首を押さえつけられて窒息死させられた。この事件をきっかけに、警察官の暴力と人種差別に抗議するデモが全米に広がり、暴動や放火、商店から大量の品が略奪されるなどした結果、40以上の都市で夜間外出禁止令が出されることになった。
米国での暴動の様子は日本でも報じられているが、殺害されたジョージ・フロイドさんがどんな人物だったかについてはあまり知られていない。実はフロイドさんはキリスト教と深いつながりがあったのだ。
フロイドさんは過去に5回も刑務所に入れられた過去があると「デイリー・メール」紙は報じている。
初めて収監されたのは、1998年に窃盗罪で捕まった時のこと。2002年には不法侵入罪で30日間を刑務所で過ごし、同年と05年にはコカイン不法所持でも捕まっている。そして、07年には拳銃を手にして強盗に押し入り、09~14年までの5年間、服役した。
身長193センチのフロイドさんは、過去の犯罪歴だけを見たら、荒くれ者の薬物中毒者に見えるが、彼を知る者は「心優しき巨人」と呼ぶ。
「ジョージ・フロイドは、この地域に福音を伝えるために主が遣わした平和の使者でした」と語るのは、フロイドさんが育ったヒューストン第3区にあるヒューストン復活教会のパトリック・ゴウォロ牧師だ。
米国第4の都市であるテキサス州ヒューストンは、石油産業と米国航空宇宙局(NASA)で知られる航空宇宙産業の中心地である近代都市だが、低所得者層のアフリカ系米国人が多く住む第3区は、さまざまな犯罪が蔓延(まんえん)しているため、「よそ者」が近づかない場所だった。
ゴウォロ牧師は、そんな第3区に教会を開拓するよう示されたのだが、そこで受け入れられるためには、地域に根ざした協力者の存在が必要不可欠だった。「よそ者」が足を踏み入れても、地域住民の心を開かせるのは難しく、敵対心を抱かれてしまうからだ。
そこで、「助け手が与えられますように」と祈っていた時に出会ったのがフロイドさんだ。ヒューストン第3区で生まれ育ち、そこで暮らし、地域の人々に大きな影響力を与える人物だった。
「第3区には、父親を失った非行少年がたくさんいるが、ジョージは、そんな若者たちの父親代わりとなり、『自分がたどった道を歩むな。銃と暴力は何の解決にもならない』と、若者が誤った道に進まないよう見守っていたんだ」
「クリスチャニティー・トゥディ」によると、フロイドさんはゴウォロ牧師にこう告げたという。「あなたの働きは素晴らしい。この地域の人々が必要としている働きだ。あなたが神様のために働いているのであれば、それは私の働きでもある。手助けできることはどんなことでもするので、遠慮なく何でも言ってくれ」
フロイドさんは教会のミニストリーの中心的人物として働き、地域住民と教会の橋渡し的役割を担ったという。
ヒューストンの第3区を心から愛していたフロイドさんだが、トラック運転手の資格を取って家族との生活を安定させるため、教会の支援プログラムを通してヒューストンからミネアポリスへ引っ越した。
教会の信徒訓練プログラムを通して、キリストの弟子としてさらに力強く生きていく方法を学んでいた。彼の心は常にヒューストンにあり、第3区の若者たちとは携帯電話でメッセージのやりとりも続けていた。そして、「トラック運転手の資格を取得したらヒューストンに戻る」と決めていたのだ。
白人警官に首を押さえられて「息ができない」と言って亡くなった46歳のフロイドさんは、生前に「若い世代は大きく迷っている」と次世代の心配をしていた。
「何を言えばいいのか分からない。若い子たちは群衆に向かって銃を放ち、自ら命を落としている。そして私たちの世代は、そんなふざけた状況を容認している。(銃を捨てて)家に帰ってきなさい。最後にはあなたは神と1対1で対面することになるのだから」
ヒューストンに戻るというフロイドさんの願いはかなえられなかったが、彼の存在はヒューストン第3区に住む人々の心に永遠に刻まれた。彼は第3区の人々にとって灯火であり、神の恵み、愛、赦(ゆる)しによって人は生まれ変われることを明らかにした。
米国ではいまだに人種差別が根強く残っており、フロイドさんの死をきっかけに、人種的差別をなくしていこうという運動が行われている。
ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3:28)
「善いサマリア人」のたとえ(ルカ10章)に出てくる祭司やレビ人のように私たちもこの問題を見て見ぬ振りするのではなく、当事者である自覚を持つ必要があるのではないだろうか。その上で、この問題をなくすために自分に何ができるかを祈り求め、行動に移すとき、神のみわざを通して世界は変わっていくだろう。