クラシック音楽を分かりやすく紹介するラジオ番組「音楽の泉」(日曜午前8時5分~55分、NHK第1)の解説で知られる立教大学名誉教授の皆川達夫さんが4月19日、老衰のため92歳で帰天した。
本来の専門は、ルネサンス教会音楽や、長崎県に伝わる「オラショ」(かくれキリシタンの祈り)研究。また、中世合唱曲を専門に歌う中世音楽合唱団を1952年に創立し、バッハ以前の音楽にまだ馴染みがなかった日本に、「古楽」といわれる西洋ルネサンス・バロック音楽の魅力を広めた。
水戸藩士の流れを汲(く)む家に生まれ、幼い頃から能楽や謡曲などに親しんで育った皆川さんが、モーツァルトやベートーベンといった西洋音楽に熱中するようになったのは中学・高校に入ってから。ただ、自分が親しんできた日本の伝統音楽とはまったく噛(か)み合わず、どちらに本当の音楽があるのかと疑問に思い始めたとき、グレゴリオ聖歌や中世ルネサンス音楽の収録されたレコードに出会った。
「『西洋にも日本の謡曲と同じようなものがあるじゃないか。面白い。これを調べてみれば、きっとどこかで日本の音楽との接点が見つかるに相違ない』と生意気にも思ったんですよ。1943年、17歳のことでした」(致知出版社)
戦時中は「兵隊になりたくない」という一心から医者を目指すが、戦後、自分がいちばんやりたいことを求めて東京大学文学部西洋史学科に入り、中世ルネサンス文化の研究へと歩み出す。音楽学者でクリスチャンの辻荘一(つじ・しょういち)に師事。1955〜58年まで米国に留学し、またヨーロッパ諸国で中世古楽の楽譜写本の研究をしてから帰国した。その後、立教大学で教鞭をとる一方、65〜85年までNHK・FM「バロック音楽の楽しみ」の解説を務め、88年からは「音楽の泉」を担当し、その働きは亡くなる直前の3月末まで続いた。
西洋古楽とともに皆川さんがライフワークとしていたのが、長崎県北西部の離島、生月島(いきつきしま)の集落に伝わるかくれキリシタンの唱える「オラショ」(祈り)の音楽解明だった。奇妙な節回しをつけて歌われる「歌オラショ」に、皆川さんはカトリック教会のラテン語聖歌の響きを鋭く感じ取り、歌オラショの研究にのめり込んでいった。生月島の3つの歌オラショのうちの「ぐるりよざ」が、スペインのある地方にだけ伝わっていた「おらが村さ」のローカル聖歌であることを発見するまでに7年の月日をかけた。
1982年、その古楽譜をマドリードの図書館で発見した時の様子が、月刊伝道新聞「こころの友」2017年5月号(日本キリスト教団出版局)のインタビュー記事に次のように書かれている。
「その歌がスペイン出身の宣教師により、はるばる極東の離れ小島の人々に伝えられ、弾圧に耐え400年歌い継がれてきた……その厳粛な事実に皆川さんは立ちすくんだ」
それから6年後に皆川さんはカトリックの洗礼を受けた。
「こころの友」でのインタビューをはじめ、『洋楽渡来考──キリシタン音楽の栄光と挫折』(2014年)で編集を担当した日本キリスト教団出版局の秦一紀(はた・かずき)さんが、皆川さんとの思い出を語ってくれた。
「確か『洋楽渡来考』の見本をお持ちした時だったか、ご自宅にうかがった時に、おうちの壁にいくつもぶら下げたパンジーの鉢植えがちょうど見事に咲いていまして。そこから種が落ちたのか、壁際の路上にも一輪パンジーが花開いているのを先生がいとおしむ目で見下ろしながら、『いじらしいねえ』とおっしゃられて。あれにはキュンと来てしまいました」
また、原稿はすべて、東芝ルポ(ワープロ専用機)のフロッピーディスクで渡され、書斎の机の上には、「音楽の泉」のシナリオ執筆には欠かせないストップウォッチが置いてあったという。
皆川さんの最後の出演となった3月29日の「音楽の泉」。バッハの「無伴奏バイオリン・パルティータ第3番」から「ガヴォット」の演奏が終了すると、「今日の放送をもって私の最後の放送とさせていただきます」と述べ、いつもの挨拶(あいさつ)をした。
「ここでお別れいたします。皆さん、御機嫌(ごきげん)よう、さようなら」