1月19日「富は、天に積みなさい」

あなたがたは地上に富を積んではならない。富は、天に積みなさい(マタイ6:19~20)

富とは、私たちが持っているものである。富は、お金であり、体であり、時間である。富の使い方に、その人の価値観が現れる。私たちは、価値がないと思うものには、自分の富を一銭たりとも使いたくないが、価値があると思うものには、他のものを割いても使う。

「富を天に積む」とは、神の御心を行うために富を使うことである。神の御心の第一は、神を愛すること、神を礼拝することである。礼拝において捧げる賛美、祈り、献金、奉仕は、「富を天に積む」行為である。神の御心の第二は、隣人を愛することである。困窮している隣人のためにお金や体、時間を使うことは、「富を天に積む」行為である。

富を天に積む行為は、「神こそ最高の価値である」と知る者において可能である。すなわち、「神が私を造り、生かしめている」という祝福を知る者、「神が御子を与えてくださるほどに私を愛している」という祝福を知る者において可能である。神の祝福を知って初めて私たちは、富を神のために用いる。

富を天に積む行為によって私たちの心は天に向けられ、ますます神の祝福を知る。それゆえに主イエスは、「富は、天に積みなさい」と命じ、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ」(21節)と言う。神のために富を使うことによって、私たちの心は天にあり、神に拠り頼んで生きる幸いを知る。「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい」(22節)という主イエスの言葉も、同じ趣旨である。心の目が天の一点に向けられていれば、輝いて生きることになる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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