【クリスチャンな日々】第4回 クリスマスは「充実」なんてしなくていい MARO

 

第4回 クリスマスは「充実」なんてしなくていい

主の御名をあがめます。

皆様、ごきげんいかがでしょうか。今日もまたお相手させていただきます。MAROです。よろしくお願いします。

クリスマスが今年も終わりました。皆様、どんなクリスマスを過ごされたのでしょうか。楽しく充実したクリスマスを過ごされた方もいるかもしれませんし、普段どおりの「平日」として、特に何も「充実」したこともなく過ごされた方もいるかもしれません。日本では、もしかしたら後者のほうの方が多いのかもしれません。それで、「ああ、今年も何ごともなくクリスマスが過ぎてしまった」と少し寂しいような、もったいないような、そんな気持ちを抱いている方も多いかもしれません。

しかしです。

クリスマスが充実していなきゃいけないなんて誰が決めたっ!!!

イエス様が生まれた「最初のクリスマス」を思い返してみますと、そこに出てくる登場人物は、決して誰も「リア充」ではありません。マリアとヨセフの夫婦は、皇帝の命令で故郷に帰らなければならないことになり、その道中で宿が見つからずに馬小屋で夜を過ごし、子を産むハメになりました。確かに「子を産む」、しかも「イエス様を産む」ということは「充実」したことかもしれませんが、少なくとも現代の私たちがクリスマスに期待するような「キラキラでロマンチックな何か」は、まったく彼らにはありませんでした。むしろ、ただでさえ当時は命がけだったお産を、馬小屋という劣悪な環境で行ったのですから、ロマンチックというよりも「壮絶な」夜だったと言えるかもしれません。

(写真:Tom Adriaenssen)

そこに駆けつけた羊飼いたちは、その夜、いつもどおりに羊の世話をしていました。現代で言えば、「ごく普通の平日」を過ごしていたんです。しかし、だからこそ「救い主が生まれたよ」という報(しら)せを聞いて、すぐにその馬小屋に駆けつけることができ、そしてイエス様と最初に会うという特権を得たのです。

東方の博士たちだって、星を見て、長い旅をしてイエス様のところに辿(たど)り着きました。ずーっと旅を続けてきて、やっと見つけたと思ったら、小さな馬小屋。自分たちは身体を休めることもできなかったでしょう。

クリスマスはキラキラでもロマンチックでもなかったんです。後世の絵画や、いわゆる「クリスマス物語」でキラキラな演出が加えられましたけど、聖書の描くクリスマスは少しもキラキラじゃないんです。むしろ、こうして想像してみると、「通常営業」だったり「壮絶」だったりと、それとは正反対なんです。

ですから、今年のクリスマスが「充実しなかった」という方。それでいいんです。むしろクリスマスの祝福はそういう方にこそあります。「通常営業」の羊飼いたちに大きな祝福が与えられたようにです。

実は僕も今年のクリスマスイブは、年末の仕事に忙殺されて、疲れ果てて寝込んで過ごしていました。でもだからこそ、こんなことを改めて考えることができましたし、「そうか、クリスマスって、こういう何もない普通の夜だったんだ。そんな普通の夜にイエス様は生まれたのだ」と気づくことができました。

皆様の上にもそれぞれに豊かな祝福があたえられますように。

よいお年をお迎えください。

主にありて。MAROでした。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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