先日、アフガニスタンでクリスチャン医師である中村哲さんが銃撃され、天に召された。このとても残念で悲しい報道の中で、私は二つのことに衝撃と感動を覚えた。
一つは、アフガニスタン人が掲げるプラカードに「中村さんはアフガニスタン人として生き、アフガニスタン人として死んだ」と書かれていたことだ。日本人である中村さんが、アフガニスタンでどれほど受け入れられ、愛され、アフガニスタン人と共に歩んだかが、この言葉に表されていると思った。
もう一つは、タリバンが「銃撃したのは自分たちじゃない」とすぐに声明を出したことである。政府軍はもちろん、政府に敵対しているタリバンからも、中村さんは自分たちのために働いてくれている大切な存在だと思われていたということだろう。
中村さんは、汚染された水による健康被害を食い止めるため、専門外の用水路事業を始めた。そして、もともと農耕民族だったアフガニスタン人に、戦争で砂漠化した農地を回復させ、自給自足の中で幸福を得ていた生活を取り戻させたいと考えた。
自分たちが用水路を掘っている上を米軍のヘリコプターが飛んでいく中で、また日本の自衛隊がインド洋で給油活動をする中で、「軍隊は報復を生み出すだけだ」と平和を訴えた。実際に多くの荒れ地を緑の大地に変え、現地の人々の生活を変えた。兵隊に出ていた若者が故郷に戻り、農業に従事するようになった。
私は、この中村哲さんの生きざまにイエス様を見て感動した。いつもは御言葉から教えられ、メッセージを語るのだが、今年のクリスマスは、一人のクリスチャンの生きた証しから、イエス様はなぜ人間としてこの世に来てくださったのかを深く教えられた。
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。(ピリピ2:5〜8、新改訳)
実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し……。(エペソ2:14、同)
「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」(ヨハネ12;24、同)
神様のひとり子であるイエス様は、人間として生まれ、人間として生き、人間として死んだ。
私は改めて、このクリスマスに、中村さんを通してイエス様を見せられた。
70歳を越えた中村さんが残されたもう一つの言葉が突き刺さった。
「あと20年がんばりたい」
私は牧師として、イエス様に倣(なら)う者になりたいと志し、白浜に遣わされた。1979年に恩師の江見太郎(えみ・たろう)牧師が始めた「いのちの電話」を引き継ぎ、三段壁を訪れる自殺志願者の方々の必要に応えたいと願ってきた。神様の愛を伝えたくて、走り続けた20年だったと思う。
47歳の私は、「あと20年がんばりたい」と言えるだろうか。いや、言うべきだ。中村さんは私に、その背中でイエス様に仕える者の姿を見せてくれた。この中村さんのアフガニスタン人を愛する愛の深さに圧倒された。私もそんな人になりたいと思いながらクリスマスを過ごしている。
藤薮庸一(ふじやぶ・よういち)1972年、和歌山県生まれ。 95年、東京基督教大学神学部神学科卒業。現在、日本バプテスト教会連合・白浜バプテスト基督教会牧師、白浜レスキュー・ネットワーク理事長。著書に『あなたを諦めない─
─自殺救済の現場から』(いのちのことば社)がある。「牧師といのちの崖」(加瀬澤充監督)は、その働きに密着したドキュメンタリー映画。