【インタビュー】上馬キリスト教会のツイッターで人気、MAROさんの連載開始 幸せに楽しくなるキリスト教を伝えたい(後編)

前編を読む)

──上馬キリスト教会のツイッターを始めた結果、一般の人にも教会の楽しさを知らせることになりました。

イエスとブッダが安アパートで暮らすというマンガ『聖☆おにいさん』を多くの人が喜んで読んでいることを考えると、別にみんな、聖書やイエス・キリストに嫌な印象を持っているわけではないことが分かります。一般の人が嫌なのは、教会では難しい話をしていて、「あなたも信じましょう」と言われることなんですね。問題はアプローチの仕方で、そこを変えていく必要があるのではないでしょうか。

──上馬キリスト教会のツイッターも『世界一ゆるい聖書入門』も、日本のキリスト教界の殻(から)を破る起爆剤となったように思います。

講演会などに呼ばれてよく話すのは、日曜に教会に来てもらう時にライバルがあるということです。その最大のライバルはディズニーランドで、教会はディズニーランドと勝負をしなければいけない。ディズニーランドの楽しさに勝てることを教会は考えていかなければいけない。それは救いであったり、永遠に続く心の安らぎであったり。それらを分かりやすく伝えなければいけない。それが今の教会にはできていないかなと感じます。

──ツイッターは、キリスト教を分かりやすく伝えるにはいいメディアですか。

ツイッターは何回も繰り返しやっていると親しみが増えてくるという法則があるじゃないですか。信頼度も上がってくるし。広く知らせるにはいちばんいいメディアだと思っています。

──直接、上馬キリスト教会を訪れる人も増えたそうですね。

ツイッターをやり始めて、倍くらいに増えました。別の教会に行かなくなった人がツイッターを読んで、「この教会なら」ということで転籍した人もいます。

──中には、MAROさんたちを目当てで来る人もいる?

どうでしょうか。僕らは教会に呼ぶまでが仕事ですから。教会に来てもらったら、「あとは牧師さん、お願いしますね」と。または、聖書を開いてもらうまでが僕らの仕事で、あとは神様にお任せです。教会に足を運び、聖書を開いたら、あとは神様が何とかしてくれますから。そこで「洗礼を受けませんか」なんて僕らが言う必要はないんです。ペトロだって、イエス様に「わたしについて来なさい」と直接言われて従った(マタイ4:18~20)。それは当然起こることです。

──ゆだねるということですね。でも、これが難しい。

「ゆだねるといいことがある」と捉えるのはちょっと違っていて、ゆだねてもダメなことがある。ゆだねた以上は、そのえらい目にあったことまで受け入れなければいけないんですね。でも、ハッピーエンドは保証されていますから。キリスト教は、最終的に幸せに楽しくなるための宗教なんです。

──ツイッターもそうですが、『世界一ゆるい聖書入門』でも、現実を見据えた上で、その先に神様の救いを落としどころに持ってくるのがいいんですよね。

イエス様のたとえ話は、当時の人なら誰でもピンと来ることばかりなんです。だから、今の時代にピンと来るイメージに置き換える必要があるかなと思います。「イエス様がここにいらしたら、どうたとえるかな」とか考えるんです。

──『世界一ゆるい聖書入門』を出したことでの手応えはありましたか。

ありますね。ツイッターをやっていない人もたくさんいますから。22日には第2弾『世界一ゆるい聖書教室』(講談社)も出ます。「2」としなかったのは、どちらを先に読んでもいいようにしたかったからです。

──本紙でも連載が始まりますが、その長所はどういうところにありますか。

ツイッターよりもいろいろなことを詰め込める点です。ターゲットも絞れますよね。やはり一般の人を巻き込んでいきたいので、ノンクリスチャンを念頭に置いているのですが、クリスチャンにも「こういうところない?」という感じで読んでもらえたらなと思います。

──最後に好きな聖書の言葉を教えてください。

その時その時に与えられた御言葉に支えられているので、選ぶことはできないですね。聖書の言葉でないけれど座右の銘にしているのは、「一生懸命やって、祈れ。そうしたら、万事なるべきようになる」です。バークリーのベースの師匠がクリスチャンで、帰国する時に言われた言葉です。「万事思いどおりになる」とは言わないで、「なるべきようになる」です。「一生懸命やるだけでもダメだし、祈るだけでもダメだよ」と教えてもらいました。

奇跡を起こすことのできる神様だけれど、「若い人が来ますように」とただ教会に座って祈っているだけでは来ません。旧約でも、神様から「こうしなさい」と言われて、それを実行するのは人間の側にゆだねられています。「祈ればいい」とついなりがちですが、聖書で祈るだけの人はいません。祈って実行して、また祈っています。モーセだって紅海を割ったとき、杖(つえ)を上げました。神様が「杖を高く上げなさい」と言われたから、それに従ったんです(出エジプト14章)。言われたことに従えば、そのあとは神様が事を起こしてくださいます。

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【新連載】クリスチャンな日々(1)MARO

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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