──深井さんは立派な経歴を持ち、牧師としても人気のある人でした。今回の件ではショックを受けている人も多くいるようです。
「立派な先生なのに、こういうことをしてしまった」という認識は、もしかしたら間違っているのかもしれません。今回の件は、東洋英和に来る前からの話で、「日本の神学」を遡(さかのぼ)っても、前からいろいろ問題があったことが分かります。ですから、杜撰(ずさん)な研究を続けてきた人が、岩波から『ヴァイマールの聖なる政治的精神』などの本を出し、東洋英和の院長になり、『プロテスタンティズム──宗教改革から現代政治まで』(中公新書)が吉野作造賞も受賞してしまったということです。むしろ順番は逆なのかもしれません。
ミッション・スクールでも、教会でも、責任ある立場を任せたプロセスというのは、おそらく普通のメディアでは取材することが難しいので、それはぜひキリスト教メディアで検証してほしいと思っています。
──日本基督教学会にも甘さがあったということでしょうか。
甘さはあったと思います。あとは出版社ですね。深井さんの杜撰さについてはかなり前から言われていたことなので、出版社の人も知っていたはずです。ならば、編集の時点で出典をしっかり確認するとか、もっと慎重に出版するとか、出版社も注意すべきでした。出版社は、研究者にとって研究を発表する重要なファクターなので、編集者の責任も大きいと思います。
『プロテスタンティズム』は吉野作造賞の取り消しが決まりましたが、出版元の中央公論新社は「この本には問題はない」と言っています。でも私が見る限り、テキストの扱い方に関して問題があります。たとえば、エルンスト・トレルチの引用に問題があるため、「古プロテスタンティズム」と「新プロテスタンティズム」という概念が、トレルチの議論とは異なる意味になってしまっています。中央公論新社には、この本にも問題があったことを明言してほしかったですね。そうでないと、「別の本では不正はあったけれども、この本は正しいんですよ」と、変なメッセージを送ることになってしまいます。
──日本基督教学会はクリスチャンが多いと思いますが、何か特殊性はありますか。
いろいろな教会の人がいますが、クリスチャンでないからといって、やりづらさというものはないです。ただ、キリスト教思想においては、「クリスチャンにはかなわない」と思うこともあります。トレルチについても、「信仰があれば、内側から分かる面もあるかな」と。でも、距離があるからこそ分かる面もあるのではないでしょうか。
──クリスチャンではない小柳さんがキリスト教思想に興味を持たれ、研究を継続する上でモチベーションとなっているものは何ですか。
もともと、ミルチャ・エリアーデ(ルーマニアの宗教学者)やルドルフ・オットー(ドイツの宗教学者)などの宗教現象学、マックス・ヴェーバー(ドイツの社会学者)の宗教社会学などに興味がありました。そのうち、宗教についてただ客観的に考えるのではなくて、宗教を自分で生きながら、一方で客観的に考えている人について勉強をしたいと思い、指導教員だった芦名(あしな)先生からトレルチを教えてもらいました。トレルチはクリスチャンの神学者ですが、努めて客観的に、キリスト教が近代社会に持つ意味というものを考えています。
日本も今は西洋的な近代社会になっているわけですが、社会の仕組みとか「自由」「平等」「愛」といった概念は、本当はキリスト教を理解していないと分からない面があります。キリスト教プロテスタントの思想には、社会や歴史の一部として重要な情報もたくさん含まれています。ある時代の中でキリスト教の出来事を分析・考察し、その出来事が持つ意味を明らかにして、歴史や哲学、文学などの他の分野の研究にも貢献できればという思いでやっています。
──小柳さんの研究は深井さんの研究と重なるところもあり、今回の不正行為については憤りを感じていらっしゃると思います。
我々の研究は、一次資料を全員がすべて見られるわけではないので、先行研究は非常に大事なんです。こういう資料があって、こういうことが言えるなら、自分の研究との関連でどのようなことが導き出せるのかという流れですから、先行研究に信頼性がなければ研究は成り立ちません。
人物を創作した点でカール・レーフラーのほうがセンセーショナルに報道されましたが、私としては、トレルチの家計簿のほうにかなり憤りを感じています。トレルチは実際にいる人なのに、誤った情報に基づいてエッセイを書いているわけですから、研究者として許しがたいです。
──最後に、教育者としての立場から何かありますか。
私も研究者であると同時に教育者でもあるので、「どういう学生指導をしてきたのか」と思ってしまいます。「学生に論文の書き方や資料の大切さを伝えてきたはずではなかったのか」と。
学生だけでなく、私自身もそうですが、一次資料を重視して、誤りがあった時は、ありがたくその指摘を受け入れ、正していくという研究者としての謙虚さをもってやっていかなければならないと痛感しています。
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