兄姉の愛と忍耐への感謝
伝道者になって40年以上になる。振り返るとただ主の憐れみと教会の兄姉の愛と忍耐によってのみ、今なお伝道者であることが許されていると思う。どうしようもなく性格は悪く、どこか秀でた能力があるわけでもなく、普通以下の能力であり、学識もない無学な者である。しかも愛も勇気も慎みもなく、冷たく、自己中心で、臆病者である。それも若気の至りと言える年ごろを過ぎ、老人の仲間入りをした今も、成長の痕跡なく青臭いままである。
数え切れない罪や失敗を犯してなお伝道者として立たせていただいているのは、繰り返すが、主の憐れみである。同時に、具体的に奉仕した教会の兄姉の愛と忍耐とによるものであることは、どんなに強調してもし過ぎることはないと確信している。母教会と現在奉仕している教会を含め、すべての教会の兄姉に感謝を忘れることはない。
しかし、これまで記してきたように、現在多くの次代を担う伝道者たちが職を離れたり、病気になったりしている。そして、その主な要因は我々のような老人伝道者であり、若い伝道者自身であることは既述の通りである。
しかし、それだけではない。もう一つの重要な要素は、教会を構成する各器官である兄姉である。小生のように兄姉の比類なき愛と忍耐によって支えられることもなく、兄姉に苦闘に追い込まれ、抜け出せなくなる場合がある。だから、若い伝道者もそして教会もまた苦悩を深めているのである。
あくまで主の教会がこの困難な地で主の教会となるために、兄姉と若き伝道者と老人伝道者とが、それぞれの賜物を一つに組み合わせることが、何よりの願いである。
欠点を補いながら育てる
すべての伝道者は小生のように欠点だらけでないとしても、一つや二つの欠点があるだろう。伝道者だけでなく人間すべてに言えることである。だから、もし欠点があるからといって排除したり、軽蔑したりするなら、我々はすべての人を排除し、軽蔑しなければならない。誰一人尊敬できる人などいなくなる。友人関係も、隣人関係も不可能であり、夫婦関係も成り立たない。
教会における伝道者と兄姉の関係、また兄姉同士の関係が破綻するのは、圧倒的多くの欠点があるからというよりも、何か限られた課題による場合が多いように思われる。そのことを考えると、その欠点や課題のところを兄姉が担うなり、穴を埋めるなりして、その伝道者を育ててほしいのである。
夫婦も結婚したその時から欠点を発見するだろう。それを互いに補い合い、助け合いながら、夫として、妻として育てられ、夫婦としても育てられるのである。そして、夫が夫として成長すれば、同時に妻も妻として成長するように、牧師が成長する時、兄姉も成長し、教会としても成長(数のことではない)するのである。だから、牧師を育てることは、牧師一人だけのことではなく、兄姉一人ひとりと、群れとしての教会に戻ってくるのである。逆に言えば、牧師を育てられない教会や兄姉は、結局成長しないのである。
育てたもうのは神のみ
ただ念のために言うと、若い牧師たちに対して「俺たちが牧師を育ててやる」という意識を持つことではない。この「育ててやる」意識は、「百害あって一利なし」であり、牧師を育てるどころか殺してしまうのである。なぜなら、夫婦で妻が夫に対して「わたしがあなたを夫にしてあげる」などと意識していたら、夫が夫になるどころか離婚になる危険がある。また、親が子どもを育ててやるという意識が子どもの賜物を殺すことは現代の家庭を見れば自明である。
だから「育てる」のは結局、神ご自身だけであって、種を蒔き、水をやり、神が育てくださる器としてなすべきことをして、愛し、見守り、育てたもう神に信頼することが大切だということである。
(つづく)
ほそかわ・しょうり 1944年香川県生まれ。東京で浪人中、63年にキリスト者学生会(KGK)のクリスマスで信仰に導かれる。聖書神学舎卒後、72年から日本福音キリスト教会連合(JECA)浜田山キリスト教会、北栄キリスト教会、那珂湊(なかみなと)キリスト教会、緑が丘福音教会、糸井福音教会、日本長老教会辰口キリスト教会、パリ、ウィーン、ブリュッセル、各日本語教会で牧会。著書に『落ちこぼれ牧師、奮闘す!』(PHP出版)、『人生にビューティフル・ショット』『21世紀をになうキリスト者へ』(いのちのことば社)など。
【ジセダイの牧師と信徒への手紙】 第7章 傷つけ、傷つけられる牧師 「キリストに仕える」実感を味わう 細川勝利 2014年6月7日