教会は、折りが良くても悪くても、世の救いを諦めません。「弱い人には、弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に、すべてのものとなりました。ともかく、何人かでも救うためです。福音のために、私はすべてのことをしています。福音に共にあずかる者となるためです」(コリントの信徒への手紙一9章22~23節)
茨木教会へ赴任したことをきっかけに、京都YWCAで「聖書に親しむ会」の講師を引き継ぎました。「YWCA運動は、19世紀の産業革命時代のイギリスで、働く若い女性へのケアと祈りの活動として女性キリスト教徒たちにより始められた」(『京都YWCA100周年記念誌』より)。そのYWCAの活動の中でも「平和を創る」というテーマに位置づけられている例会です。キリスト教精神を原動力に、女性たちが祈りながら社会に貢献してきたその場所で、礼拝し、学び、お茶の時間を持っています。
今年度は『子どもと共に学ぶ新・明解カテキズム』(キリスト新聞社)や『ハイデルベルク信仰問答』を読んでいますが、感想や疑問を共有したり社会問題のことを話し合ったりと、話題は多岐にわたります。メンバーの半分は茨木教会員ですが、半分は関西の多様な教会から集われているので、言論の自由は守っています。その上で、この機会に少しでも「キリスト教信仰の精髄」(上記)を肌で感じていただけたらと思っているのです。それが世の救いと平和につながると信じて。写真は、12月に開かれた「京都YWCAクリスマスのつどい」の様子です。ロシア・ウクライナ戦争、パレスチナ・イスラエル戦争が始まった年であり、世界戦争への不安も抱えていたからこそ、いよいよ主イエスが平和の王として来てくださることを願ってお話ししました。
とはいえ、自分に講師が務まっているという自信はまったくありません。いつも力不足を申し訳なく思いながら電車に揺られています。しかし、信徒の方々は、昨日も今日も社会でキリストを証ししながら生きておられます。各地で、キリスト教関連施設が教会から離れていく中、キリスト者が始めた尊い運動を牧師が応援しないで何になりましょう。
ところで、この時代に未だYWCAが「女性団体」の立場を取っているのはなぜでしょうか? そこには、女性だけで意思決定ができる場として需要があるという背景もあるようです。前々回、教会婦人会解消の話をさせていただきましたが、婦人会の存在意義は、教会の清掃や給仕のためではなく、女性が男性の目を気にせず意思決定できるという点にあったと思います。つまり、性別関係なく意思決定ができるのでなければ、婦人会を作るところから再びやり直さなくてはならないでしょう。それでは大胆な選択に踏み切った意味がないのです。先日、壮年会も解消が決議され、次のステップへ進もうとしています。
コレカラの教会が、自由でありながらも大切なものを失いませんように。教会が地の塩、世の光となって、社会に根ざしていけますように。あなたの救いのために、あなたの大切な人の救いのために、この世の救いのために、十字架にかかってくださった主イエスを信じて、祈っていきましょう。
大橋茉莉耶
おおはし・まりや 1989年、東京都で牧師家庭に生まれる。敬和学園高等学校、東京神学大学・大学院終了後、日本基督教団浜北教会に着任し、伝道師を経て牧師となる。2023年度より日本基督教団茨木教会へ転任。2児の母で、趣味は歌うこと。