日本福音同盟(JEA)社会委員会主催による「第35回信教の自由セミナー」が12月1日、オンラインで開催された。岡山英雄氏(日本福音キリスト教会連合東松山福音教会牧師)が「終末の時代に平和を考える」と題して講演した。日本、アメリカ、イギリスで40年以上にわたりヨハネの黙示録を研究してきた終末論の専門家である岡山氏は、終わりの時代に生きるキリスト者の「視座」について語った。
まず、この時代のキリスト者の課題として注目すべき議論について、「暴力の時代にいかに平和の民として生きていくかが問われている」と言及。聖書では終末のしるしとして、「にせキリスト」「戦争」「飢饉と地震」「産みの苦しみ」「疫病」「迫害と殉教」「にせ預言者」「全世界への宣教」が挙げられるが、中でも戦争は、関連するニュースを見ない日がないほど世界規模で広がりを見せている。
日本では「愛国」という言葉を盾に、その存在を無条件に肯定し、反対する見解は「反日」思想と敵視するなど国家理解の単純化が進んでいるが「国の存在が良いか悪いかという議論ではなく、それ自体もまた神のしもべであることを忘れてはならない」と岡山氏。
さらに、国家を「神のしもべ」(ローマの信徒への手紙13章)と「獣」(ヨハネの黙示録13章)の観点から比較。前者は「地上における秩序の維持のため神によって立てられた」存在であるのに対し、後者は「自らを神格化し、国民に礼拝を強要する」存在であるという。特に後者については抽象的な概念ではなく、近現代の日本史を通しても1942年のホーリネス弾圧事件を皮切りに行われたキリスト教弾圧、1969年に設立された神道政治連盟による国家神道の興隆、そして2015年の集団的自衛権の可決など、すでに具体的な問題として深刻化していると指摘した。
「小羊の平和」こそが、それらの状況を変革させる手がかりだという岡山氏は、聖書は基本的に「非暴力」の立場にあると考察できるとしつつ、「非暴力による平和は幻想」という意見について、1919~47年のインドでの非暴力闘争を例に、「非暴力による平和は確かに時間がかかるが、それでも多くの人が血を流さずに築き上げることができる手段である」と論じた。
今後も、多くの戦争や災いの噂は絶えることがないが「黙示録の最後は希望で締められている」と岡山氏は語る。「終わりの時代に万物は礼拝する」(ヨハネの黙示録5章13節)は、弱肉強食の世界が終わり、肉食獣は草食となり、動物間の敵意は消え(イザヤ書11章6~7節)、全世界に福音の言葉が拡大していく(マタイによる福音書24章14節、ヨハネの黙示録12章11節)神の約束によるものであり、終末を生きることは絶望ではなく希望への過程であると強調した。「キリスト者はこの時代をただ怯えたり、社会情勢に翻弄されたりするのではなく、神の準備された計画と、神がもたらされる新しい世界への希望を忘れずに生きていくべきではないか」
質疑応答では「キリスト者が少数派の地で学べることは何か」との質問に、「3世紀まではローマのクリスチャンも日本と同じ人口の1%ほどだった。初代教会と同じ状況で生き、その中で聖書を読むことができる。1%だからこそ、キリスト教社会では見えないものを語ることができる」と答えた。イスラエルとアメリカの教会についての質問には、「地上のエルサレムがこの世界を制圧するとは聖書に記されていない。イスラエルに特別な役割があるかということは常に考えなければならない」とし、引き続きキリスト教界全体で取り組むべきテーマだと訴えた。