今年3月、30年ぶりにインドを訪問する機会があった。インド北部ウッタルプラデシュ州(以下UP州)を車で移動中、道路の標識でアヨーディヤーという地名を何度も目にした。
アヨーディヤーは、古代コーサラ王国の首都。ヒンドゥー教最大の英雄の1人で神の化身とされているラーマの生誕地であり、ヒンドゥー教の巡礼地の一つでもある。また仏教徒にとってはゴータマ・ブッダが、ジャイナ教徒にとっては開祖マハーバーラタが訪問し滞在した町として知られ、それらの宗教においてもやはり特別な意味がある。そもそも北インドという地域自体、卓越した宗教家、聖者と呼ばれる人々が生まれ、行き交い、教えを説いた特別な地だ。その「強力な宗教性」という潮流は現在でもこの地に流れる。同地域のムスリムもまた、熱心な信者が多い。
アヨーディヤーは16世紀初頭、ムガル帝国の統治下に入った。その時、同帝国の創始者バーブルの名を冠したバーブリー・マスジドが建設されたのだという。ヒンドゥー教徒の一派から、「そのマスジドはムスリムたち〝侵略者〟がラーマ生誕の場所にあったヒンドゥー教寺院を破壊して建てたものだから、それをヒンドゥー教寺院に戻すべきだ」との主張が現れ、両教徒間の衝突が起こり始めたのが18世紀ごろ。その他、ジャイナ教および仏教の一派、イスラームのシーア派までが、この場所の権利を主張していたとのだという。
ヒンドゥー教徒の一派が、バーブリー・マスジドを破壊し占拠するという強硬手段に出たのが1992年12月6日のこと。私が初の海外渡航でインドに着いた数日後のことだった。これを発端としてインド各地でヒンドゥー教徒とムスリム間の激しい争いが始まり、数カ月間で1千人以上の犠牲者が出た。暴動は隣国パキスタンやバングラデシュにまで飛び火した。
2019年、UP州最高裁判所はインド考古学調査局の調査に基づき、バーブリー・マスジドはヒンドゥー教寺院の上に建設されたものだという主張を認め、そこにヒンドゥー教寺院が建設されることを認める判決を下した。他方、UP州のスンニー派中央ワクフ委員会には、その代償としてマスジド建設のために5エーカーの土地を政府から譲り受ける権利があるとした。その土地はバーブリー・マスジド跡地から約20キロ離れた場所にあり、マスジド建設は2021年1月から開始された。インド最大級のイスラーム複合施設になる予定だという。
この問題は今なお、インド亜大陸の宗教社会に深い遺恨を遺している。昨今のパレスチナ問題はこれとは多少趣が異なるが、このような問題においては宗教のみならず、平和共存という大きな理想と英知と公正さを備えた各分野の指導者らが、ある種の人々のミスリーディングを阻止すべく、協働しつつ解決に臨むことが望まれる。典型的な多宗教・多文化社会であり、宗教熱心な信徒が多いインド。課題も多いが、他方さまざまな意味でより豊かな素晴らしい社会になる大きな可能性を秘めていると信じたい。
さいーど・さとう・ゆういち 福島県生まれ。イスラーム改宗後、フランス、モーリタニア、サウジアラビアなどでアラビア語・イスラーム留学。サウジアラビア・イマーム大卒。複数のモスクでイマームや信徒の教化活動を行う一方、大学機関などでアラビア語講師も務める。サウジアラビア王国ファハド国王マディーナ・クルアーン印刷局クルアーン邦訳担当。一般社団法人ムスリム世界連盟日本支部文化アドバイザー。